第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 厄介者

『厄介者』

滝沢一哉(たきざわ・かずや)48歳
1971年生まれ。北海道生まれ、自営業。


  1

 この世に、生きる意味などない。ただ、生きていく価値はあるのかもしれない。

 外の雨は止みそうになかった。舌打ちをする。
「あのなァ、眠てえことしてくれるなよ、まったく」俺はため息をついて見せ、安い発泡酒の缶を空けた。「俺になにをしてほしいってんだ、お前ェは」
 同情を引こうかとレイコは落胆したようにうつむき、黙り込んだ。その態度が余計に俺を苛立たせ、そっぽを向いて、マルボロの先をライターで焼いた。
「……だから、そのガキは何なんだよ」
 レイコは、幼い少女を連れてきた。
 歳で言えばどれくらいか、背丈は俺の腰ほどにも満たなく、手足は棒っきれほどに細く白かった。俺には子供などいないし興味もないから、見当もつかなかった。
 その少女は声を殺して、ずうっと膝を抱え、しくしく泣いていた。
「お前のガキじゃないだろ。もしそうだったら、とっくの昔に連れてきてるはずだからな。どこで拾ってきたのか聞きたくもねえ、何をどうしたいとかも聞く気はねえ。だいたいがガキは、そうやってすぐ泣くから嫌いなんだよ」
 ぶるぶるとレイコは、違う、とでも言っているかのよう肩を揺らした。
「そもそも、お前ェこそ、居候の厄介者じゃねえか。転がり込んできてから、ずっと居座りやがって、俺になにか言える立場か、ア? 悔しかったらなんか言ってみろよ、コノヤロウ!」
 思わず声を荒げると、ドン、と強く床を踏んだような音が、上の部屋からした。
 また舌打ちする。
 俺は深く煙草を吸い込み、口を歪ませながら、勢いよく灰色の煙を吐き出した。
 少女は俯いたままだった。よく見れば、少女の顔や腕には、青黒くなった痣が至る所にあった。
「厄介事に首突っ込みたくねえんだ、お前なら分かってくれるだろ、レイコ」
 背中を丸め座っていたレイコは、少女の手を強く握っていた。
 初めて見たレイコのワガママ、切実な願いに思えた。レイコは今までこんな態度をとったことはない。お前にとって、よっぽどのことだというのか。少しだけ心が揺れた。
 レイコとは二年程前から、俺の部屋に突然現れた、女の霊魂だ。
 初めて目の当たりにした時は、誰かが化けてでてきたものと腰を抜かすほどビビった俺だったが、人間とは適応力に優れ、徐々に慣れていくものだ。いない者という思い込みから、居る者という認識で、意識はガラリと変わった。
 その日から四六時中、無縁仏なのか地縛霊であろうレイコが、人間同様存在しているのが見えるようになった。
 害を加える訳でもない、飯を食う訳でも迷惑をかける訳でもないレイコに、すっかり俺のほうが慣れてしまい、ここに住み着いてしまっても気にすることがなくなった。「幽霊がいる」などと誰かに言いふらすつもりもないし、信じてもらうつもりも更々ないから、俺にとっては、どうでもいい存在でしかない。
 こいつが例え血塗れだったとしても、この世の者ではないとしてもだ。
 指先がしなやかで細く、アキレス腱がくっきり浮き上がるほど足も細い、白いブラウスに、白いロングスカート、向こうが透けて見えるほど肌も白く、衣服を着ていても分かるくびれや身体のラインから、こいつは女だと判断できた。女特有の香水なのか、化粧品の匂いなのか、とても甘くていい香りがするのも、その理由だった。
 レイコという名は、俺が勝手につけた。
 初めは『首無し』だとか『顔なし』なんて、しばらくは呼んでいた。なんせ、首から先が無く、俺には見えないんだから。
 だが、首から上がないとはいえ、人間の姿恰好なところから、人っぽい名前を考えてみた。目鼻口がついていないからか、一度もこいつの声は聴いたことがない。名前を聞いても何も言えないし、のっぺらぼうってのは妖怪でちょっと違う気がした。
 幽霊、霊魂というところから、霊に女っぽい子をつけた『レイコ』がしっくりきた。霊魂から、『ん』を抜いた、レイコ。人間としては終わっていて、この世から生身の姿形もなくなった『0(れい)子』ともとれる。
 こいつも何となく、人名で気に入ってる様子だった。本人も、きっと生きていた頃の本名とは違うだろうが、それで納得しているようだった。
 そのぼやけたシルエットと輪郭には憶えがあるような、それでいて懐かしいような気はしたが、女の霊ということで俺は別段なにも言わなかった。俺の生活には何の支障もなかったから、居座っても構わなかった。
 こいつが疫病神だろうが、厄介者だろうが、地縛霊だろうとな。
 時刻は二十三時を回ったところ、雨の音が曲のよう聴こえる八畳ほどの1DKに、四十にもうすぐ手が届く男と、年齢不詳の女の霊、レイコと同種の幽霊であろうガキ。
 なんだ、こりゃ?
「ひとつ訊いていいか? レイコ」
 顔をあげ、こくりと頷いたよう思えた。改めて、こいつに首はない。
「そのガキは、つまり、あれか、お前ェと一緒で……、死んでるのか?」
 手を横に振る。
「お前の、そっちの世界じゃ、生きてるのか知らねえがよ。俺が訊いてんのは、こっちの世界の話だ。要は、現世では死んだんだろ」
 無念の死でも遂げたか。
 残念でならないと憐れみが滲むような仕草、肩を落とした。
「こっちでいう、成仏してねえってことか。お前と一緒で」
 ため息をつくかのようにレイコは更に深く、背中を丸めた。
「そんな年端もいかないで死んじまうなんて、あれか、事故か何かなのか?」
 突然、背筋をピンと伸ばし、手を横に激しく振った。少女はずうっと泣いている。
 俺は、眉に力が必然入った。「自殺な訳ねえだろ」
 手を横に振る。
 それはないだろうと分かってはいた。歳も分からない少女だったが、小学生低学年にも見えなかった。もっと幼く感じる、ということは五、六歳というところか。そんな小さな子供が自害するなんて聞いたこともないし、自分を殺す概念すらないはずだから。
「病気か」
 手を振る。
「……まさか、殺されたのか」
 力強く、少女と繋がった手を強く握りしめたよう見えた。
「ガキを殺したところで――」と、言ったところで、待てよと思った。「……カネ目当てか。誘拐でもされて殺されたか」
 手を横に振る。
 それもないだろうと推測する。俺が、この北海道の片田舎である北見市に戻ってきてからも、戻ってくる前にでも、そんな事件があれば大ごととして報道されていたはずだ。
 幼児をわいせつ目的で拉致って殺すなんて馬鹿げた話も多いが、この辺じゃあ、さすがに聞いたことがない。まァ、場所なんて関係ないがな。
「……とすると」俺は、一度大きくため息をついた。呆れた想像が当たってはほしくなかったが。
「親、か」

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