第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み ヒュプノでしかEGOに読ませられない

『ヒュプノでしかEGOに読ませられない』

蝋化夕日(ろうか・ゆうひ)30歳
1988年生まれ。東京薬科大学薬学部卒業後、現在調剤薬局勤務。


   “自分”を惑わす催眠は、解けようとしている。
 誰かが「計画を開始します」と口にしたと同時に、時間と空間の隙間を縫うように駆け巡り、次元を超えて我が意識は世界を覗く。
 剥離し顕現するのは、いつか。

 ◆

 このトランプゲームは非常に簡潔に、互いの記憶操作力と耐性を競える。だから、僕達催眠術士にとってはまるで嗜みのように扱われている。

 白い部屋に、二人きり。対面に座っている少女はこちらのことを獲物のように見ていた。僕の一挙一動を少しでも見逃さないように、目元がこの時だけ鋭く細まっている。
 僕の手には、一枚のトランプカード。
「いい? このカードを見て」
 カードを裏返す。“スペードのJ”。黒い剣を持った青年の絵柄。
「目を瞑って。息を吐いて」
 彼女は言う通りにする。“催眠をかける側の発言は、なるべく聞くようにする”。それはルールというより、このゲームのマナーのようなものだ。
 小さな吐息の音が聞こえる。

『――――このカードは、“ダイヤの3”だ』

「……」
 ハイベルガーボイス。僕の口から発せられた、相手の一部分だけをトランスさせる入神言語。その波長は対象の脳内に染み込むように浸透していくという。
 彼女の瞼が少し動いたのが見えた。けれど開かれることはなく、律儀に目を瞑ったまま。その隙に、トランプを裏返して再びテーブルの中央に置いた。
「いいよ、目を開いて」
 少女の大きな瞳が光を反射する。
「さ、じゃあ……このトランプの絵柄と数字を言ってみて」
 僕は、テーブルの中央に置かれたカードを指差す。それは裏返されてはいるものの、ほんの10秒前に彼女に見せた“スペードのJ”に他ならない。手品のように入れ替えたりもしていない。僕は本当に“物理的には”何もしていない。ただ言葉を投げかけただけ。このカードはダイヤの3だ、と。
「……う」
 少女は、苦しそうな顔をしている。思い出そうとしても思い出せない。そんなむず痒さが、表情に出てしまっている。
「残り10秒」
 僕の言葉に、少女は額に手を置いた。頭を抱えるとはこのことだ。

「……ハートの10」
 かろうじて漏れ出た言葉。彼女の回答はこのカードの正解とも、僕がかけた“催眠”とも、どちらとも異なっていた。

 催眠。外界において様々な意味を持つ単語。この時代この場所においては“相手の認識を強制的に変えさせる”力を指す。

「はずれ」
 カードをめくる。少女は結果を見て、嘆息した。
「相変わらずの催眠耐性だね」
「しかもダブルではずしてる……ダメですね、私」
 疲れたように言う。

 催眠を絡めたトランプゲームには、シンプルなものから複雑なルールを持ったものまで様々あるが、彼女と行っているのは最もベーシックなゲームだ。こちらが選んだカードを相手に見せて、その後に“催眠”をかけて別のカードと認識させる。
 先ほどのゲームだと、スペードのJのカードと認識していた彼女の頭の中を、僕の催眠術によってダイヤの3だと無理矢理に“認識を変えさせた”。催眠が良好にかかっていたらしく、彼女は“スペードのJ”という返答が出来なかった。
 頭の中の映像記憶まで書き換えることが出来たのかは分からない。けれど、少なくとも僕の発した“このカードはダイヤの3だ”という発音自体を耳が覚えているので、彼女の方は“ではダイヤの3ではないのだろう”という発想になる。そのためあてずっぽうで全然違うカードの絵柄と番号を回答したのだ。それが、ハートの10。
 絵柄を外させたら3点。番号を外させたら7点が、催眠をかける側に加算される。絵柄の得点が低いのは、トランプの絵柄が4種類しかなく、確率的には4分の1。適当に答えても当てられる可能性が高いからだ。
 それを攻守交代性で10回ずつ行い、総得点を競うのがこのゲームである。

「次は私の手番ですね」
 少女が山札から、無作為に1枚カードを出す。
 ジョーカーカード。踊る奇術師の絵柄が、テーブル中央に添えられる。よりによって記憶に残りやすいカードを引いてしまうなんて、彼女も運が悪い。

『これは、ハートのエース』

 カードを裏面にして、少女が言う。甲高いが静かで明瞭な声質は、脳に直接響くかのように反響する。
 ハートのエース。
“ハートのエース”
 意識がドロドロに溶ける感覚と共に、奇術師の体が歪んでいく。頭蓋の中で、先ほど視界を通して海馬に記録された映像が“置き換わる”。まるで丸かった粘土細工を捻じに捻じ曲げ細長い棒のようにした後、くるくると巻いて別の造形物に変えるようなイメージ。
 数秒の後には、自分が先程見たカードの中身は、ハートのエースだと僕の脳は認識してしまっていた。それ以外の映像を、思い返すことがもはや出来ない。
 ……完璧な催眠だと、惚れ惚れした。対戦相手ながら、あっぱれ。拍手したい程に奇麗な催眠だった。流石は“ランク4”。
「さあ、答えを」
 彼女が促してくる。僕の頭の中で、答えはハートのエース以外あり得ない。けれど彼女がハートのエースと言う以上、答えはそれではないのだろう。色も数字も何もかも思い出せず、とっかかりさえない。だから適当に答えることにした。
「ジョーカーカード」 

 ここまでで攻守合わせて20連戦。流石にもうお開き、トランプを片づけることにした。
「大丈夫だよ。こういうこともあるって」
 僕は適当極まりない言葉をかける。納得のいかない顔のまま、彼女もトランプを片づけ始める。
 少しだけ頭痛がした。“催眠”を使いすぎたのか、それとも彼女の強力な催眠を何度も受けたせいか。とはいえ頭痛はこの学園に来てから日常茶飯事。慣れてしまっている。
「あなたとの勝負は今までずっと引き分け続きだったのに……くやしいです」
「さっきのジョーカーの件は、適当に言ったのが当たっただけだよ。あれは数に含めなくていいって。まぐれだから」
「そうもいかないです。脳の記憶の残滓が答えさせたのかもしれないですし……まぐれかどうかを見分ける手段がありません。負けは負けです」
「真面目だね。気にしなくていいのに」
「気になります。ジョーカーの件が無かったとしても、引き分け。今日くらいはあなたに勝とうと思ってたのに」
「僕と対戦すると、そういう感じになっちゃうね」
「お互い、成長がないってことです」
「そうとも限らないよ。二人とも成長していたとしたら実力差は開かないから、見かけでは分からない」
「前向き。今日はおしゃべりな感じですね」
 そうかな、とだけ返す。
 時計を見ると、13時を回っていた。
「ああ、もうこんな時間だ。どう、食堂いかない?」
「すっかりゲームに夢中になってしまいましたね、行きましょう」
 レクレーションルーム①を出て、真白な廊下を二人で歩く。背景が無色のため、彼女の姿が克明に視界に映る。
 変な感じだ。僕は彼女と、こんな風に二人で歩くような関係だっただろうか。僕の隣には常に誰か別の人物がいたような気がする。頭に靄がかかったような感覚がする。先程のトランプゲームの疲れが未だに残っているようだ。
「今日はありがとうございます。付き合わせてしまって」
 少女に表情はない。彼女はいつも淡々とした話し方をする。ゲームによる疲労は彼女の方には無いようだった。
「ううん、いいよ。明日、試験だもんね」
「……何か、変な感じですね。あなたと二人きりでいるの、初めてかも」
 彼女も同じことを思っていたらしい。この状況はやはり違和感があるようだ。
「いつもはイプシロンがいるもの」
「あ」
 イプシロン。自分の友人でありパートナー。そうだ、僕の隣にはいつも奴がいた。どうしたのだろう? 朝から姿を見ていない。
「彼、どうしたんですか? 今日は一度も現われていないですね」
「僕にも分からない。まあ、そういうときもあるよ」
「珍しいですね。常に一緒なイメージがありましたが」
 少女は不思議そうな表情を見せる。確かにイプシロンとはへばりつくようにお互い行動を共にしているが、それは僕の“サポート”のためだ。僕もここに来てから3か月が経過したため、この環境には慣れつつある。奴のサポートは不要だ。そこまで一緒にいる必要もない。
 他の生徒は全員に個室があてがわれているのに対し、僕とイプシロンだけは同室だ。そろそろ自分も独立したいのが本音である。

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