第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み テトリス・ペレストロイカ

『テトリス・ペレストロイカ』

天田洋介(あまだ・ようすけ)50歳
1968年生まれ。現在、フリーライター。


  プロローグ

 耳に届く鳴りの大半は、水との関わりによって発せられていた。スクリューの回転音と、艦体が海水を押しわける音。さらに原子炉内を巡る冷却水や、蒸気によって動く発電タービンの響きだ。
 米国海軍原子力特務潜水艦SSN-687〝リチャード・B・ラッセル〟の発令所内は薄暗かった。各種機器のスクリーンや、発光ダイオードの輝く羅列が存在を誇示している。潜水艦《我こそ》が海の支配者だといいたげに。
 ――どうやら、バレンツ海には達しているようだ。
 制御卓《コンソール》付の椅子に座る荒川亮《あらかわりょう》は、欠伸を噛み殺しながら事の推移を見守っていた。
 ――まったく……。もうすぐ部署替えなのに海に潜れって。今更ながら腹が立ってきた。
 長い航海の苦労と上司のいけ好かない笑顔を思いだして、小さなため息をつく。特別な計らいで潜水艦乗り《サブマリナー》の軍服を纏っていたが、亮は軍属ではなく客員だ。
 艦長から厚い氷の下を潜水中だと教えてもらったこともあったが、普段は何も報されていない。ただ発令所でのやり取りを見聞きする限り、目標は近いようである。
 ソ連海軍が仕掛けた対潜水艦用ソナー・ブイの位置情報は、これまでの特務で蓄積されていた。迂回するように舵が取られているらしく、艦長や操艦手等の間で指示と座標の確認が幾度となく繰り返されている。
「もうすぐ我々の仕事のようですね」
 窮屈そうに隣席に腰かけていた鷲鼻の大男が、亮に小声で話しかけてきた。
 大男の名前は〝ボリスラーフ・スミルノフ・ヴラジーミロヴィチ〟。亮と同じく原潜ラッセルの客員だが、所属組織は違う。亮が米国国家安全保障局《NSA》で、ボリスラーフが米国中央情報局《CIA》。NSAと米国海軍の共同作戦に、CIAが協力を申し出てきた体裁だ。
「長い航海だと、聞かされてはいましたが――」
 亮はボリスラーフの顔を見あげながら言葉を交わす。事前に目を通した資料によれば、ボリスラーフはソ連からの元亡命者で、今作戦における重要な人物である。
 ――これまで海での行動は、海軍に任せっきりだったんだがな。
 表の理由は他にもあるものの、亮はボリスラーフの監視役として、乗艦を命じられていた。
「さて、このまま何事もなければ、一時間後にはお二人の出番ですな――」
 後方の座席に腰かけていた艦長が制帽を被りなおしながら、ようやく現状を語りだす。原潜ラッセルが目指しているのは、ソ連領土の沿岸部に近い比較的浅めの海底だ。一度陸地へ接近してから、引き返すように海底ケーブルを辿っていくという。以前の作戦で仕掛けた円筒形の盗聴ポッドを発見してからが本番である。
 艦長の推測通り、約一時間後には盗聴ポッドが見つかった。艦外へでたダイバー班が回収し、新型盗聴ポッドが海底ケーブルに沿って設置されていく。
 以前の作戦ならここで撤収するのだが、今回は違う。発令所内の傍受用音響カプラの表示ランプが、赤色から緑色に変化した。ダイバー班が新型盗聴ポッドにケーブルを接続したことを示している。
「今のところ、お喋りが盗み聞きできるだけですがね――」
 ヘッドホンを被ったボリスラーフが呟くように報告した。電話として何回線か使用されているが、作戦計画で望まれたソ連側の秘匿通信はおこなわれていない。制御卓のグリーンディスプレイに表示された〝NO SIGNAL〟の文字列が、空しく輝いている。
「先程の予想時刻は残念ながら空振りでした。今から二時間二十一分後。つまりモスクワ時間の正午にも通信がおこなわれる可能性があります」
 腕時計を確かめたボリスラーフが意見を述べた。それを聞いた艦長が二拍置いて「これより三時間は現状維持。警戒を怠るな」と指示をだす。
 ボリスラーフは音響カプラの機器から離れずに傍受し続けた。
 ――凄まじく忙しないな。まるで番組がつまらんときに、テレビのチャンネルを変えているようだ。
 亮が耳に当てているヘッドホンにも、ボリスラーフが聞いているのと同じ音声が届いていた。たまにロシア語の雑談が流れてくるものの、今目的は会話の盗聴ではない。
 海底の一所に留まりながら二時間が経過。さらにモスクワ時間の正午を過ぎても、それらしき通信は傍受できなかった。
 交代こそしているが、海中で新型盗聴ポッドを見張るダイバー班の負担が大きいのは明らかだ。艦長の渋い表情がそれを物語っていた。
 三時間が経とうとしていた頃、ヘッドホンにファックス受信時とよく似た高音の連続が流れだす。待望の通信であり、それまで大きな背中を丸めて固まっていたボリスラーフが、キーボードを打鍵。音響カプラから注がれた符号が、コンピュータで再構成されていく。
 背筋を伸ばしたボリスラーフが口元を緩ませる。艦長の判断で傍受は続行されて、開始から二七分後に通信が切れた。
「うまくいったようですね」
「冷や冷やでした」
 通信内容の解析はNSAの領分だ。亮は記録済みの五・二五インチフロッピーディスクをボリスラーフから受け取って、任務専用のアタッシェケースへと仕舞う。
 ダイバー班がケーブルを回収している最中に、警戒レベルが一段階あがった。ソナーがソ連海軍所属らしき艦影を捉えたからである。
「赤い奴らは味方に任せて、我々は余計な足跡を残さず、安全な海域まで撤収だ」
 艦長の命令で原潜ラッセルが動きだす。米軍潜水艦の任務は通常一隻のみだが、今作戦では味方の潜水艦二隻が付かず離れずに随行していた。
 役目を終えた亮とボリスラーフは敬礼して、発令所から退出する。二人が戻ったのは、特別待遇で割り当てられた仕官用の寝室だ。亮は狭い天板の机に向かい、報告書の作成に取りかかる。
 数行で片付けられる内容を、くどく細かく十数枚に渡って記述しなければならなかった。それが役所仕事というものであり、NSAでも例外ではない。
 ――この音?
 しばらくして背後で軽妙な電子音が鳴っているのに気づく。ノートの上にボールペンを転がして振り返ってみれば、ベッドの一段目で仰向けに寝転がるボリスラーフが、小型の液晶ゲーム機に興じていた。やがて亮とボリスラーフの視線が合う。
「いや面目ないです。実は今日まで我慢していたのです。通信傍受がうまくいくまではと、控えておりまして」
「そういうの、わかります。それ、ゲーム&ウオッチですよね」
 ボリスラーフから亮は小型ゲーム機を手渡される。間近で眺めるとゲーム&ウオッチではなかった。よく似ていたが、表記がロシア語で使われているキリル文字だ。
「エレクトロニカといって、かつての祖国で出回っていた海賊版なんです。米国ならもちろん本物が手に入るんですが、どうにも気に入ってしまって」
「ああ、もしかして亡命した時に持ちこんだ品ですか」
 ボリスラーフが無精髭の顎をさすりながら、亮に「そんなところです」と答えて笑う。
 亮は「少し待って」といいながら梯子に片足を引っかけて、二段目のベッドへ。床へとおりて、取ってきた私物の電卓をボリスラーフに見せた。
「これ、ゲーム電卓ですね。数字合わせをエイリアン撃退に見立てるモード付きの」
「やはりご存じでしたか。こういうの、私も好きなんですよ」
 ボリスラーフと亮は、ゲーム談義に花を咲かせる。これまで当たり障りのない会話以外してこなかったが、それからは個人的なことも喋るようになった。
 ただNSAという諜報機関に所属している立場で、真実のみを話すのは難しい。それはCIAのボリスラーフもわかっているようで、互いの深いところには踏みこまない暗黙の了解が成立する。
 そうしたやり取りが続いたのは、米国内の拠点に帰還するまでだ。亮が原子力潜水艦ラッセルからおりたのは、西暦一九八七年の一一月十六日のことだった。
 傍受した通信の一部は二重の暗号化がされていたものの、NSAの専門班が解読に成功する。亮は機密を知り得る立場ではなかったが、部署異動の直前に上司が教えてくれた。ソ連共産党本部《クレムリン》に跋扈する政治家の腐敗に関する記述だったと。
 ――意外性の欠片もない、当たり前が過ぎるネタだ。もっとも、他に重要が情報があったとしても、俺に伝えるわけにはいかないか。
 亮は強く奥歯を噛んだ。そして段ボール箱にまとめた私物を抱えて、数年間過ごしたNSA本部の一室から立ち去ったのだった。

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