第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 魚鷹墜つ

『魚鷹墜つ』

岡辰郎(おか・たつろう)62歳
1956年生まれ、東京都立工科短大卒。現在グラフィックデザイナー。


  1・収容

 降下するV―22オスプレイのローターが起こす激しい気流が、ヘリポートの小石を吹き飛ばす。エンジンの排気がまばらに生えた雑草を焼く。両翼の端に取り付けられたエンジンナセルから吹き出すタービン音が弱まり、ローターの回転が弱まっていく。
 その機影を、100メートルほど離れた木蔭から島の住民たちが見守っていた。真夏の日差しが照りつける中でも、5組ほどの家族連れが集まっていたようだ。中にはオスプレイに近づこうとして、駐在している警官に引き戻される幼児もいる。
 そのオスプレイは機体こそ明るいグレーに塗られているが、運用している航空機動衛生隊は自衛隊の一部門だ。〝軍用機〟と呼んでも差し支えはない。しかし島の医療は彼らの活動に大きく支えられていて、自衛隊を〝軍隊〟と考える住民はいない。欠くことのできないインフラの一部として、制服自衛官も温かく迎えられるのが常だった。
 そんな親しみやすさを表現するためか、機体の先端には動物キャラクターのような目玉がペイントされている。
 機体の後部が割れる。上半分は機内に収納され、下の扉がタラップ状に降りていく。全開するのを待ちきれないかのように、スロープ状になった後部ランプから1組の男女が飛び出してきた。
 男は背中を丸めて、巨大なスーツケースを重そうに抱えている。まるで、理不尽な妻の尻に敷かれる夫のようだ。女はといえば、年始恒例のハワイ観光に訪れる芸能人のような出で立ちだ。
 コックピットから出て、胴体右横の主キャビン扉から地上に降りた副パイロット――中野翔子一等空尉が、軽くシャツのシワを伸ばす。航空自衛隊独特のデジタル迷彩服と呼ばれる制服で、コンクリートの滑走路など溶け込むようにグレーが基調になっている。
 中野は、足早に去っていくカップルに冷たい視線を向けて、つぶやいた。
「あの連中、なんだったんでしょうね……?」
 横に立った機長の三等空佐、鬼嶋正がうなずく。
「だよな。しかし、上から命令されたら従うしかない。どうせ、救助ルーティンのついでだしな」
 中野はあからさまに嫌な顔を見せた。
「そうはいっても、タクシーじゃないんだし。都合がいいからって相乗りされたんじゃ……」
「まあ、そう言うな。素性も明かせないような人物を乗せろと、空将から直々に命じられたんだ。それなりの理由があることは間違いない。それに、隊の活動は税金で支えられている。政府の要請には従わなくてはなるまい。彼らも一応、警察関係者らしいしな。燃料費も、より有効に使えたと考えておけ」
 中野が女から手渡された名刺に目を落とす。
「だからって、男を従えて遊びに来た女王様みたいじゃないですか。しかも、マリアって呼んでねって……場末のスナックじゃあるまいし」
 確かに名刺には『大庭真理亜』という名が記されていた。だが、警視庁の様式ではあるものの、所属も階級も見当たらない。これが警察の検問なら、偽造を疑われかねない。なのに彼らは、何らかの権力が働いて救命の現場にねじ込まれてきた。
〝政権への忖度〟という、マスコミでおなじみになってしまった言葉が浮かぶ。
 カップルは母島に着くまでの数時間、機内のあちこちを見回りながらずっと他愛ない馬鹿話ではしゃいでいた。特に航空機動衛生隊の『AOR型オスプレイ』は医療活動のための特殊装備が満載で、世界的にも注目を浴びている。その価値を知る人間なら、隅々まで舐め回すように観察して当然の機体だ。
 なのに、電子装置に囲まれたコックピットに顔を出した時ですら、女の他愛ないお喋りは止まることはなかった。まるで大学サークルのノリだった。
 中野は、自分の〝聖域〟を土足で踏みにじられたという屈辱感が拭えない。
 年齢は2人とも30歳を超えていそうだったが、カジュアルな服装もダイビングに訪れる観光客と大差はない。医療活動に特化した部署だとはいえ、自衛隊の活動に同乗するにはまるでふさわしくない。
 中野一尉は、女には無理だと言われた戦闘機パイロット訓練生として航空自衛隊で頭角を現した。女性初の戦闘機乗りというわけではないのだが、その道のりが困難であることは少しも変わりはなかった。事実中野は、ファイター特有の激しい加速度に対する耐性が基準に達せず、訓練途中で候補から弾かれている。これは体質によるもので、努力でどうなるものでもなかった。
 願いを阻む壁は無数にあって、その1つに跳ね返されただけで夢はあっけなく砕かれる――それが現実なのだ。
 代わりに目指したのが、回転翼機――ヘリコプターのパイロットだった。しかも、大量導入の方針が決まったオスプレイの指導教官になることを最終目標に定めたのだ。その転換は、隊の幹部にも温かく迎えられた。中野の操縦センスそのものは高く評価されていたからだった。
 自衛隊に異を唱える団体や市民の多くは、オスプレイを目の敵にしがちだ。その反発を少しでも和らげるための〝広告塔〟にされることは、中野自身が理解していた。それでも中野は、空への憧れを捨てられない。それは、戦闘機パイロットを目指しながらついに手が届かなかった自衛官の父親の影響だった。
 中野自身は、男女同権の波が自衛隊にも及んだことが後押しになったことを認めている。いわば、女であるがゆえの〝ゲタ〟を履かされたことも理解している。男性同僚の一部から、白い目を向けられることもしばしばだ。だがそれ以上に、努力を重ねたという自負は揺るがない。それは、前線に立とうという女性自衛官に共通した思いでもある。
 その結果が、現在の女性自衛官の隆盛なのだ。
 先陣を切ってきた中野にとっては、マリアたちような人種は近づきたくもない〝異世界人〟でしかない。
 感情的には許しがたい存在だった。
 鬼嶋は中野の不服そうな表情を横目で見ながら、穏やかに答える。
「彼らの外見、偽装だと思うぞ」
「どうしてですか⁉」
「目が笑っていなかった」
 中野の目も真剣に変わった。
「あ……」
「思い当たることが?」
「男の方ですけど。わたしが『硫黄島にも行ったことがある』って言ったら、基地のことあれこれ聞かれました」
「そんな話をする時間があったか?」
「父島で工藤さんたちを収容していた時です。機長は?」
「何も聞かれていないが……もしや、あの記事を調べているのか……?」
 中野が鬼嶋に目を向ける。
「記事って……?」
「細菌兵器の研究所」
 中野が軽く吹き出す。
「あのオカルト雑誌の与太話、ですか? まさか……」
「確かに、全く根も葉もない、都市伝説みたいな噂だ」
「でしょう? そんなもの、どうして警察が?」
「噂が立つにはそれなりの原因があるだろうからな。噂そのものより、その出所に関心があるってことも考えられる。私に質問しなかったのは、階級が高い者が共謀して極秘裏に何かを企んでいると疑っているからかもしれない」
 中野が軽く吹き出す。
「クーデターとか? どこのラノベですか、それ」
「確かに、安っぽい劇画みたいな話だな。とはいえ、疑問や不安があるなら無視するべきではない。他国が仕掛けてきた情報戦の一環だという恐れだってある。警察に嗅ぎ回られるっていうのは心外だがね。だが、もしそこまで疑っているなら、行動を起こしたことをむしろ歓迎すべきだ。警察もまた、防諜活動をないがしろにしていないという証だからな」
 しかし中野は納得できないようだった。
「だとしても、もう少しやりようがあるんじゃないですか? 特にあの女、完全にミスマッチですって」
 鬼嶋は含み笑いを抑えながら言った。
「やはり君は、同性には厳しいな。だからこその偽装なんじゃないか? レザースーツの女スパイが拳銃を振りましながら情報を探る……ってなわけにはいかんだろう? それより仕事だ。要救助者の収容を手伝ってこい。子供らが近づかないように、見張っていてくれ。お前の愛機、大人気だからな」
 中野もその笑いにつられて、肩をすくめる。女刑事への怒りも和らいでいた。
「了解。でもこのオスプレイ、わたしのモノじゃありませんよ」
「まだ、な。このミッションが終われば、君が機長だ。私は一足先に、指導教官の退屈な職務に励むよ」
「改めて、昇進おめでとうございます」
「現場が好きな人間にとっては、めでたくもないんだがな。それに、オスプレイの本格導入が確定すれば、すぐに指導者の補充が必要になる。その時は、また補佐を頼むぞ」
「了解です! でもそれって、いつぐらいのことでしょうね」
「早くて1年後、これまでの自衛隊の動きを考えれば3年後ってところかな。国際情勢が激変しているから、なんとも言えないがね……」
「その時は、真っ先に声をかけてください」
「当然だ」
「で、今夜の昇進祝いですけど、7時からですから。お忘れなく」
「いいのか? そんな早い時間で」
「ご家族も一緒に楽しめるように、谷垣君が知恵を絞ってるはずです」
「酒はないのか?」
「それは二次会から。娘さんの前で部下の醜態は見せたくないでしょう? では、職務を遂行いたします」
 中野が機体後方へ歩いていく。その視線は、人だかりに入っていくカップルの背を追っていた。
 機長の推論は筋が通っているが、それでもやはり不釣り合いな印象は否めない。中野は軽く肩をすくめると背中を向け、タラップの警戒に向かった。
 先を急ぐカップルとすれ違うように、横付けされた救急車からストレッチャーに乗せられた要救助者が降ろされる。母島沖港に曳航されたマグロ漁船から収容を要請された、重度の熱傷患者だ。焼津港から漁に出た漁師で、船の火災で怪我を負ったという。
 今は鎮静剤で意識を失っているのか、動く様子はない。
 ストレッチャーは、後ろをナース服の看護師に押されていた。前を引く男は背広姿だ。いかにも漁師風の大男が随伴していたが、彼は大きなドラムバッグを肩から下げていた。皆、緊張した面持ちでオスプレイの後部ランプに向かっていく。
 カップルは怪我人を確認するかのようにストレッチャーに目をやったが、それ以上は関心がなさそうに先に進んで行った。
 そのカップルに、地元の小学生を押しとどめていた制服警官が声をかける。
「新宿北署からいらした方ですよね……?」
 警官の声は自信がなさそうだ。

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