第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 贋者江戸川乱歩

『贋者江戸川乱歩』

野地嘉文(のじ・よしふみ)55歳
1964年生まれ。会社員。


 貧乏書生の人見廣介と、M県随一の富豪菰田源三郎とは、大学時代の同級生で、しかも、不思議なことには、外の学生達から双生児という綽名をつけられていた程、顔形から背格好、声音に至るまで、まるで瓜二つだったのです。同級生達は彼らの年齢の相違から、菰田源三郎を双生児の兄と呼び、人見廣介を弟と呼んで、何かにつけて二人をからかおうとしました。からかわれながら、彼等は、お互に、その綽名が決して偽りではないことを、自から認めない訳には行かなかったのです。こうしたことは、間々ある習いとは云いながら、彼等の様に、双生児でもないのに、双生児と間違う程も似ているというのは、一寸珍しい事でした。殊にそれが、後になって、世にも驚くべき怪事件を生むに至った事実を思えば、因縁の恐しさに、身震いを禁じ得ないのです。

江戸川乱歩「パノラマ島奇談」

プロローグ

 昭和四十年七月二十八日午後四時九分、巨星が堕ちた。

 探偵小説の祖である文豪エドガー・アラン・ポーに由来する筆名〝江戸川乱歩〟を名乗り、日本探偵小説の中興の祖として、探偵文壇をつくりあげた男は、七十歳でクモ膜下出血によりその生涯をとじた。
 以前から兆候はあった。
高血圧症に加えてパーキンソン病を併発した十年ほど前から家に閉じこもり、人と会うのは訪問者との応対ぐらいになっていた。寿命が残り少なくなっているのを感じたのか、親しい人に早目の形見分けをしたり、息子の嫁の静子に命じて日記や古い手紙を焚火にくべさせたりするなど、死を迎える準備をはじめていた。処分する気になれないが人には見せたくないものをまとめてどこかに収めたという噂もあった。
病は自律神経を侵し、ここ数年は歩行もままならず、隆子夫人の肩につかまらなければ歩けなくなっていた。字を書こうとペンを持っても手が震えて自分の名前さえ書けない。食事も家人の手助けを要する。顔からは表情が消え、まるで仏像である。長いあいだ情熱を注いでいた探偵小説への興味も急激に減退し、
「小さい活字を追うのが大変だし、前のページの人物の名前をページをめくるともう憶えていないので本が読めない」
 といって、テレビでアニメーションばかり観ていた。だが、それもストーリーがよくわからなくなっているという。
 二ヶ月前の五月十六日には、雑誌「新青年」の初代編集長を務め、乱歩を世に出した森下雨村が亡くなったばかりである。
 相次ぐ訃報により、探偵文壇は転換期を迎えていた。昨年秋に開催された東京オリンピック以降、時代の空気も変わっていた。

乱歩死すとの報が流れたのは今回が初めてではない。
 昭和三十七年十一月にも、電報局からの乱歩危篤という連絡が三、四十人ほどの関係者のあいだを駆け巡ったことがある。知らせを聞いて深夜にタクシーで駆けつける者、焦るあまり赤信号で横断歩道を渡り車にはねられそうになる者、柱にぶつかって眼鏡を壊し、ぼやけた視界で家を飛び出した者など、多くの人々を混乱させたという記録が残されている。乱歩は既に第一線を退いていたが、彼の死はそれほどの大事件だった。だが、実際にはその日の乱歩は普段と変わりがなかった。たちの悪いいたずら電話の犯人はいまだにわかっていない。
 アメリカのもうひとりの文豪、マーク・トウェインにも晩年、新聞に〝トウェイン死す〟という誤報が流れたことがある。すかさずトウェイン本人は、
「私が死んだという報道は誇張である」
という諧謔に満ちた声明を発表した。しかし、老いた乱歩には、わが身の誤報に対して気のきいたコメントを発表する気力はなかった。

 宝石社の編集者だった小林信彦のところには連絡がなかったので、誤報事件を知るのが遅れてしまった。
乱歩が「宝石」の編集に携わっていた頃は、彼は乱歩の家に日参していた。だが、健康に対する不安と、日本探偵作家クラブを社団法人化する準備で忙しいことを理由にしばらく前から乱歩は「宝石」から手を引いている。表紙に刷られた〝江戸川乱歩責任編集〟という文字も今年から外された。
誤報のことを聞き、小林信彦は久しぶりに乱歩の顔を見たくなった。このところ担当している「ヒッチコック・マガジン」の売れ行きが芳しくない。その上、折り合いの悪い同僚が裏で策謀し、小林を雑誌の編集から外す動きをしているという噂が流れていた。気持ちが滅入り精神状態を立て直すためにも自分を宝石社に入れてくれた恩人と話がしたくなったのである。危篤の報が流れたのは事実であるから、そのお見舞いに訪れるというのは格好の口実になった。
「もっとはやくうかがえればよかったのですが」
「本当に危篤ならともかくいたずらだったんだ。気にするほうがおかしい」
 恐縮する小林信彦を乱歩はねぎらった。
「家に電話がないので連絡先から洩れたんだと思います」
「本番のときに連絡があったらいいじゃないか。こうしてぴんぴんしている以上、少なくとも死んだのは私ではない」
「誰かとまちがわれたんですかね」
ドッペルゲンガーがあらわれると、遠からずその人は死ぬ、という話もある。その伝説を思い出し、どこかで乱歩に似た誰かが死に、それとまちがえられたのでないのならもうすぐ本当に乱歩は死ぬのかもしれない。小林信彦の不謹慎な想像を見透かしたように、
「でもそういうことがあるとかえって長生きするらしいよ」
 と乱歩は笑った。
「『宝石』の編集長に復帰されますか」
「もう雑誌の編集は十分だな。やるならまだやっていないことだ」
パーキンソン病が進行し立ち振る舞いに不自由している様子で、いまさら新しいことにチャレンジすることは到底無理だと自分でもわかっているだろう。だが、例え口先だけにせよ前向きな乱歩をみて小林信彦は感心した。
「君だって同じだよ。もう会社を辞めてもやっていけるんじゃないかね」
「私なんてまだまだです」
「君は辞めてもやっていけると思う。雑誌が潰れてから辞めるより、先に辞めたほうが君は傷つかないで済むとみているがね」
乱歩の言葉に小林信彦は救われる思いがした。宝石社を辞めることになっても新しいことを始めるチャンスがきたと頭を切り替えればいいのだ。

 誤報の記憶が薄れかけた昭和四十年七月、今度こそ本当に乱歩危篤の知らせが流れた。
自宅の八畳間に横たわった乱歩は、掛け布団から出した腕に点滴の針が差し込まれていた。鼻には酸素吸入のチューブが入っている。
 脈をとる主治医や家族を中心に、粛々と駆けつけた作家たちは夜具のまわりを取り囲んだ。作家の数はみるみる増えて幾重にも重なり、人垣がつくられた。
今度は小林信彦にも連絡がありその群れに加わったが、前のほうには側近の作家や日本推理作家協会の理事たちが固まっていたため、彼は後ろのほうで小さくなっていた。
この時点では意識はあったらしい。
やがて終焉が訪れる。
乱歩は大きな呼吸をひとつしたあと、閉じていた目をかすかに開き、まわりの人たちを確かめるように見まわして、まもなく瞼は閉じられた。
そして二度と開かなかった。
身体は痩せ細っていたが、顔には不思議なほど張りがあった。口がかすかに空いており、唇のあいだから舌が覗いていた。人生をかけて大きな仕事をやりきった男らしく、平和な死に顔だった。
枕頭に集まった日本推理作家協会の首脳陣はその場で緊急理事会を開き、通夜と密葬、そして本葬を日本推理作家協会葬としておこなうことを決議した。社団法人日本推理作家協会の初代理事長の葬儀として乱歩を公人として扱うことはあらかじめ決められていた。
てきぱきと事務処理をこなす様子は不謹慎にもみえたが、手続きに遺漏はなく安心してみていられた。数年前の誤報事件をきっかけに彼らもこの日がくるのを覚悟し、入念に準備をしていたのだ。人騒がせないたずらもその意味では無駄ではなかったと小林信彦は考えた。
二十九日の通夜と翌日の密葬には合わせて百三十名の弔問客が集まった。
 友であり、ライバルでもあった横溝正史は乱歩の枕元にへたりこみ、
「あんた、なんで死ぬのや。まだ書かなんだらあかんのに。俺はあんたという目標がのうなったら、書く気せえへんわ。どうして死んだ、このあほっ」
 と叫び、人目もはばからず号泣していた。まるで長い時間をかけて雨水を溜めこんだダムが決壊したかのようだった。その言葉通り、横溝正史は乱歩死去からほぼ十年のあいだまとまった作品を書くことがない。
「おい、ヨコセイ、もう泣くな。俺たちももう歳だ。もうすぐ、また、会えるじゃないか」
 そばにいた元「新青年」編集長の水谷準が慰める。ヨコセイの綽名は筆名を縮めたものだ。〝正史 〟は本名ではマサフミと読むのが本当だが、筆名ではセイシと呼ばせている。
「せや、そうやな。もうじき会えるよな。乱歩さん。もうじき会いに行くからな」
 横溝正史はしゃくりあげながらそう答えた。

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