第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 次の99人

『次の99人』

今村ポン太(いまむら・ぽんた)30歳
1988年生まれ。立命館大学政策科学部政策科学科卒業。
現在会社員。


 プロローグ

「東條さんは生きてるよ。私が保証する」
 亜莉澄(ありす)はよどみなく、あっけらかんと言った。亜莉澄は賢い少女だと香帆は知っている。ときどきはっとすることを言って、驚かされることもある。
 ただ、その言葉はあまりにも現実とかけ離れていた。
「そんなはずないよ。だって、彼はテロで殺された。ニュースにも出ていたでしょ」
 合同庁舎の一室にいた九十五人は全員殺された。死んだ人間の身元確認は警察の虹彩認証によって行われた。警察当局の発表だ。
「虹彩の生体認証で個人を識別している以上、他人と間違うわけない。もし私を励まそうとしているんだったら、そんなことは言わないで」
 香帆の声は少し震えたが、亜莉澄は堂々としたものだった。亜莉澄は香帆の両肩に手を置き、改めて言った。
「いまから証明するよ。どうして東條さんが生きているのかを」
 亜莉澄は傷だらけの、やせっぽちの少女だった。
 香帆と出会ったときは、それはもう。それが、どうしてだろう。香帆はときどき、亜莉澄が眩しすぎて目をそむけたくなるのだ。

  1

 亜莉澄との出会いは大豪邸だった。
 香帆は仕事柄高級住宅に行くことが多く、『西島邸』に行くのは二度目だった。豪奢な調度品の、気品と下品が入り混じった前時代的な城。しかし二度目のリビングダイニングは、一度目の印象と大きく違った。全裸の少年がいたからだ。
 死体と見間違えるくらいの小さな呼吸で、テーブルの上に横たわっていた。少年の上には魚のお作りが盛られており、乳首や局部を隠されている。仄暗い部屋でライトに照らされる少年は、寝ているのか薬を盛られているのか、あるいは自力でそうしているのかまったく動く気配がない。
「大丈夫よ。若く見える子を選んで貰っただけで、この子は十八歳って聞いてるわ。あなたが何が好きかわからなかったから、喜んでいただけるかわからないけれど」
 香帆は吐き気を催した。それは西島の的外れな言葉が原因なのか、やわらかすぎるソファーが原因なのか、部屋に漂う甘い匂いのせいなのかはわからなかったが。
 香帆は今日、西島邸に商談でやってきた。商談を食事中に行えるのはとても良い兆候だ。こちらに気を許している証拠でもあるし、食事中は共感しやすくなるので相手の言ったことについ頷いてしまう。上司からの紹介で、前回初めてここにやってきて、次回は一緒にお食事でもと連絡がきたときは「やった!」と思ったのに。
「好きな場所から食べて頂戴」
 西島は少年の局部のあたりに箸を伸ばした。オゴノリで高さを均され、載せられた白身魚の刺し身を一枚とって、口に運んだ。それを上品に咀嚼し、ゆっくりと喉を動かす。
「あら、食べないの?」
「いえ、ちょっと食欲がなくて……」
「好みじゃなかったかしら。別の子の方が良かった?」
「いえいえっ。そうでは」
「かわいい。照れてるのね」
 香帆は常軌を逸した状況が怖くて仕方なかった。それでも、これは仕事なのだと言い聞かせ、なんとか心を落ち着けた。これは仕事だ。そうだ、仕事の話をしなければ。
「あのっ、ところで、ゼロ医療の話をしませんか?」
「ふふ、そうよね。あなたは今日その話をしに来たんだものね」
 なんともまあ下手な話題転換だと自分でも思ったが、西島はそれに乗ってくれる。部屋が暗いのはよかった。笑顔がひきつっていたとしても、あまり目立ちはしないだろう。じっとしていると不安で押しつぶされそうになるから、香帆は口を動かすしかなかった。
「ゼロ医療は、五ヶ月後から解禁となります。西島様はご興味があるとのことですので、もし予約をするなら早いほうがよろしいかと。始まったばかりの技術で、供給体制が十分なわけではございませんので」
「ねぇ、ゼロ医療って、倫理的にどうなのかしら。それって人間をデザインするってことでしょう?」
 LED蝋燭のささやかな炎が揺れる。物憂げにしゃべる夫人の美しさが、香帆には恐ろしい。飲まれてはいけない、と言い聞かせながら、香帆は言葉を返した。
「いえいえ、デザイナー・ベビーとか、ジーンリッチって言葉は昔からありますけど、そんなにだいそれたものじゃありません。受精卵の病気を治すだけの、ただの医療行為ですからね」
「医療行為ねぇ。遺伝子の書き換えが」
 西島は興味を持っているはずなのに、勿体つけた態度を取る。興味がなければ香帆が呼ばれるはずもないのに。
「擦り傷には塗り薬を塗るし、虫歯は削ります。内臓はたいてい投薬ですが、それぞれの病気で対処は変わります。そして、遺伝子はコードですから、治療は書き換えです」
「それをすれば、ダウン症の子は生まれない?」
「はい」
 婦人は今年で三十七歳になる。二十三歳のときに結婚し、三十五歳まで子宝に恵まれなかった。しかし不妊治療のすえ、三十六歳で受胎した我が子は出生前診断の結果ダウン症だとわかった。その後夫婦間でどんな議論があったかは知る由もないが、婦人は産まない決断をし、下ろしたのだ。
「この歳になるとね、いろいろ考えるのよ。もう出産で……子供のことで失敗したくはないの。……なんて、ちょっと傲慢だったかしら」
「まさか! お子様とご両親の長い人生の決断ですから。より良いものにしたいと考えるのは自然なことですよ」
「ふふ。そうかしら」
 ゼロ医療――遺伝子編集による受精卵段階の治療は、まだ陽の目を見ていない。そもそも、二〇一〇年代に遺伝子改変技術は劇的に進歩した。それ以前の運任せで再現性の低い方法から、プログラミングするような正確な方法へと革新を遂げた。筋肉質で可食部の多い鱒、マラリアを媒介しない蚊。間伐に強い人参。花粉を出さない杉。様々な生き物に適用され、より良い世の中づくりに貢献した。
 ただし、人間の受精卵の編集はずっと禁忌の技術とされてきた。二〇一五年、中国で人受精卵の遺伝子操作を行ったという論文が発表された。たかだか基礎研究の段階だ。しかし、この論文は『第六の大量破壊兵器』と米国の諜報機関が認定するほど世界に衝撃を与えた。そして二〇一八年、先ほどとは別の中国の研究者が、HIV耐性のある乳児を作り出したと発表し、世界的な非難を受けた。ただし、乳児は生後間もなく死亡した。
 これらは日本にとって対岸の火事ではなかった。二〇二〇年のことだ。当時日本では、遺伝子編集した受精卵を胎内に戻すことは禁止されていた。ただ、ある科学者が受精卵を胎外で育てる技術を確立したために該当の法律が形骸化し、その後即座に法整備されたものの、日本に九十九人の『デザイナー・ベビー』が誕生してしまった。
 その後、国連も日本に追従し遺伝子編集胚を三ヶ月以上育てることを世界的に禁じ、現在に至るまでそれは変わっていない。
 しかし、繰り返された基礎研究により、編集胚の育成期間の上限が撤廃されることが決定した。今から五ヶ月後の、二〇四五年八月以降、遺伝子編集した三ヶ月以上の胚が存在してもよいこととなった。より安全で、優れた子供を生み出したいという需要は絶えなかったし、それに供給が追従するのは当然だ。香帆も高度医療営業として、時代の変化の中で奔走している。

ページ: 1 2 3