第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 君が幽霊になった時間

『君が幽霊になった時間』

泡沫栗子(うたかた・くりこ)27歳
1991年生まれ、フリーター。


 非日常編

  1

 大きな悲鳴が教室から聞こえた。
 それを聞いて、廊下に列をなしていた人達がどよめく。
 いくつもの顔がこちらを向いている。これから自分の身に巻き起こる恐怖体験を想像しているのだろう。期待する顔。緊張する顔。戯れの恐怖を求めるいくつもの顔。
 教室の後方の戸から、二人組が出てきた。カップルだろうか。羊毛高校の制服を着た男女だ。上履きのラインが青いから、二人とも一年生だろう。顔色も揃って青い。足取りは、まるで回転系のアトラクションに乗り終えた直後のようにふらついている。
 それを確認し終えてから、僕は、列の先頭に並ぶ、緊張した面持ちの女子生徒三人組に、入場券代わりの白いピンポン球を渡す。その表面には、幾何学的な流線が細かいタッチで描かれている。
 強張った背中が戸の向こうの暗闇に飲み込まれたところで、ゆっくりと閉める。レールと戸がこすれ、がらり、と、低く割れた音がする。その音は、彼岸と此岸を切り離す音だ。
 戸の向こうに広がるのは、めくるめく恐怖の世界。
 幽霊と亡者の国。
 間もなくして、また悲鳴が聞こえた。

 羊毛高校文化祭は、九月下旬に催される。
 文化系の部活の晴れ舞台でもあるこの文化祭は、土日の二日間をフルに使って行われる。
 今日は日曜日。二日目にして最終日だ。
 その午後十三時四八分。
 僕は南校舎二階の廊下を歩いていた。一階にある自販機コーナーを目指している。
 とはいえ、目的は自分の飲み物を買うことじゃない。喉の渇きを訴えたクラスメイトに頼まれ、水分の調達に駆り出されたのだ。
 受付の仕事を割り振られている僕は、本来なら今も教室の前の受付係の椅子に座っていなければならない。しかし教室内のスタッフはそれ以上に、持ち場を離れるわけにはいかず(僕をここまで駆り出した張本人は、現在も生首役を演じるのに忙殺されている)、さらに手が空いてる他のクラスメイトが教室前を通りかかることもなく、仕方なしに、比較的いなくてもなんとかなる僕がかり出されたというわけだ。 
 とはいえ、まるっきり貧乏くじでもない。
 二時間もの間、ずっと教室の前に座っているというのは退屈だ。尻も痛い。誤解を恐れずに言えば、なかなかの苦痛である。
 まだ持ち時間の半分も経っていないというのに、僕の精神力は限界に来ていた。だんだん列に並ぶ人の顔がぶれて見えてきたくらいだ。
 だから、これはいい気晴らしととらえるべきだろう。
 その機会をくれた、あのオカルトマニアにはむしろ感謝してもいいのかもしれない。むしろある意味では、取り残されたもう一人の受付係の方が貧乏くじを引いたとも言える。
 あの子にも何か飲み物を買ってってあげようかな。
 そんなことを考えながら、二階の廊下を進む。
 女装喫茶、縁日、カジノ、ボサノバカフェ――国境も統一感もまるでない看板が、次々と視界に飛び込んできた。
 廊下は人でごった返している。普段からは考えられない人口密度だが、それもそのはずで、何しろ今日は文化祭。校内にいるのは羊毛高校生だけではない。父兄の方はもちろん、近隣の高校の制服を着た学生。のみならず小中学生までいるし、さらには孫に誘われたと思しき、かなりお年を召した方もいる。
 老若男女が千客万来だ。
 だが、歩いていて目に留るのは、そうしたお客様よりも、むしろ羊毛高校生の方だ。
 訪れた人を楽しませるために、そして何より自分が楽しむために、皆、趣向を凝らした様々な風体に身を包んでいる。
 魔女の格好をした女子生徒(肩に黒猫を乗せている)。ライオンとシマウマのファンシーな着ぐるみを着た二人組(その中はサバンナのように暑いだろう)。メイド服を着て、頭にカチューシャを乗せた坊主頭の男子生徒(地獄絵図)。大きなシルクハットを頭に乗せた奴もいる(鳩でも出すのかそれとも無声映画に出演するつもりか)。制服姿の生徒も多いが、髪型がまりものように大きく膨れあがっていたり、顔の半分を覆うくらいの大きな眼鏡をかけていたり、どこか普段とは一味違う。
 彼らの足取りは、一様に、ふわふわと浮き足立っているように見える。
 それもそうだ。
 年に一度の文化祭に向けて、皆、夏休み前から準備を進めていたのだ。お披露目ともなれば、気分が上がらないわけがない。基本的にテンションの低い僕でさえ、足取りが弾んでいるくらいだ。
 人が行き交い、その話し声が反響して、増幅する。ひどく騒々しい。しかしその騒々しさは、なぜか不快ではない。
 東の突き当たりまで辿り着いた僕は、階段を下る。
 それにしても、こうして見るとやはりカップルが多い。僕もああいう風に、好きな子と並んで歩きたいものだ。とあるクラスメイトの女子の顔をぼんやりとイメージしながら、そう思った。
 羊毛高校は二つの棟で構成されている。各学年の教室がある南校舎に、特別教室が集中している北校舎。それらを結ぶのは、両端から伸びる通路だ。後者と通路に囲まれた中央には中庭がある。だから、羊毛高校を俯瞰すればロの字に見えるだろう。
 ちなみに体育館は北校舎のさらに北に大小――というか新旧、二つある。
 自販機があるのは、南校舎の東端。俯瞰図の右隅に表記される位置だ。
 喫茶店やカフェなど、飲み物を扱う演し物が多いせいか、自販機コーナーはさほど混み合っていなかった。
 四台並んだ自販機の前で、財布を制服のポケットから取り出していると、
「閑寺くん」
 後ろから尖った声がした。
 振り返ると、一人の女子生徒が立っている。
「あ、旭川さん」小銭を取り落としそうになるのをなんとかこらえる。なんでここに。
「いかにも私は旭川さんこと旭川明日葉よ」
 ずんずんと詰め寄ってきた彼女は、きゅっと、と僕の眼前で立ち止まってから、
「だけど今は私のことはどうでもいいわ」
 と言い、それから、びし、と右手で僕を指した。指先まで神経が行き届いた、ぴん、とした人差し指である。
「閑寺くんはどうしてここにいるの?」
 あれ? なんか怒ってるっぽい?
 元々、凜とした目がさらに吊り上がってる。
「この時間帯は、受付の仕事中のはずでしょう?」
「……い、いやその」
 ついさっき脳裏に描いていた相手の登場に、処理速度が追いつかない。一般的な使われ方とは異なる意味で、空想と現実の区別がつかない。意味のない言葉が、海月のように宙をたゆたう。足だけが彼女に気圧されるように、じりじり後退していた。
「サボったわね」
「さ、サボってない」
「私が嘘は嫌いなこと知っているでしょう?」
「嘘なんてついてないよ」
「正直に言えば激怒はしないわよ」
「怒ることは怒るのか」
 本当にサボってないって、と否定するが、彼女の耳には入っていないようで、
「ちゃんとやってよね。真面目にやってる人に失礼じゃないの」
 と眉根を寄せて、こちらを非難してくる。一度立ち止まったと思ったのに、再び詰め寄ってくるから、僕もまた後ずさる。
 自分に厳しく、他人にも厳しい。それが旭川明日葉のパーソナリティだ。意志の強そうな顔立ちも、真っ直ぐに降りた長い黒髪も、すっと伸びた背筋も、それを体現している。
 クラスメイトの中には融通が利かないと彼女を疎んじる人もいるが、しかしこういう子がいると物事がスムーズに進むのはたしかなので、彼女と口論をしようとする人はいない。内心では皆、感謝しているのだろう。
 事実、彼女の手腕は卓抜している。二年二組の出し物がここまで立派な形に仕上がったのは、クラス委員を務める彼女の頑張りによるところが大きい。
 実際に話してみるとそこまで四角四面というわけでもないし、冗談も言うし、時折見せる笑顔はすごくかわいいのだが、みんな気付いていないようだ。
 まあ、それに気付いているのは僕だけでいい。
 変に気付く人が多いとライバルが増えるからな。
 ライバルがいないからといって、僕が彼女の心を射止められるかは別問題だけど。
 旭川明日葉の追求に窮しているうちに、背中が、どん、と自販機にぶつかった。いつの間にか壁際にまで追い詰められていたのだ。
 ……う。逃げ場がない。もやっとした機械の生温さが、カッターシャツ越しに、背中に伝わった。今日は秋晴れで、気温も高かったため、その温もりは心地いいとは言い難い。
 つやつやの前髪の下の目が、こちらに咎めるような視線を送っている。
 僕は旭川さんの顔が直視できなくて、視線を逸らそうとするが、この距離では逸らしきれない。どうがんばっても、その顔が視界に入ってしまう。
「……う、ううう」

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