第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み はぐれた金魚は帰れない

『はぐれた金魚は帰れない』

藍沢すな(あいざわ・すな)
進学塾講師・フリーランスライター。


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「被疑者確認!」
 夏木誠一は無線を握り締めて叫ぶ。十名ほどの教員が校舎から飛び出した。血みどろの彼らは、機動隊の防護盾(ライオットシールド)に保護される。恐怖と激痛で倒れ込み、子供のように泣き叫ぶ。
「そこだ! 人質に紛れてるぞ!」
 その中に、いた。あの少女が――。
 YouTubeでライブ配信していた少女。血まみれの地獄絵図の中、一人だけ無傷の少女。口元に仄かな笑みを浮かべる。少女は静かに立ち上がり、音もなく駆け出した。
「被疑者、東方面へ逃走! 俺が行きます!」
 校舎からは児童の悲鳴が飛び交う。まるで戦場だ。四階の教室からガラスを破って転落する子供たち。地面に叩きつけられ、四肢があらぬ方向へ折れ曲がっる。
 少女は地獄と化した校舎を横目に軽やかに駆ける。やがて少女は神社の鳥居の前に立った。少女は石畳に佇み、夏木たち捜査員を見据える。笑顔のまま。
「動くな!」
 夏木はホルダーから銃を抜き、少女に向ける。それでも少女は笑顔を湛えたまま。
「今すぐ校舎のアレを止めろ!」
 被疑者はあどけない少女。それも武器など持っていない無防備の人間だ。
 少女は笑顔のまま両手を上げる。絹のように艶やかな髪、千の夜を凝縮したような暗い瞳。ピアニストを思わせる上品な出で立ち。この少女が児童と職員を、虐殺した。
 少女は指の間から金色の鈴を現す。親指で弾くと、冷たい金属音が境内に満ちた。
 ヤバい――。コレだ――。
 少女の口から赤い煙のようなものが吐き出される。煙は像を結び魚の姿を形作った。
『金魚』だ。それも両腕を広げたほどの大きさもある。
 巨大金魚は宙をビチビチと跳ねて体勢を整え、大きな目玉をギョロリと回す。分厚い口をバクバク動かしながら宙を漂う。しかも二匹。
「みんな、死んで――」
 少女が命じた瞬間、二匹の巨大金魚が興奮したように目を回しながら震える。二匹は発射された弾丸のような速さで夏木の耳元をすり抜けてゆく。
「うわああああ! 何だあああ!」
 後ろの捜査員の腹部がごっそり削り取られている。『金魚』が食い千切った。
捜査員が崩れ落ちると『金魚』たちは次々と襲いかかる。手足を噛み千切られ、喉を食い破られ、絶叫を上げて絶命してゆく。目の前で仲間が殺された。
「動くな……やめろ……それを近付けるな」
 少女は僅かに目を見開く。じっと夏木を見詰めた。
「あなたには見えるんですね。この子たちが――」
 そう、この『金魚』は夏木にしか見えていない。
 少女が鈴を弾くと『金魚』たちはビクビク身悶えする。真っ黒な目がグルグル回転する。
「楽しんでください。生きながら食い殺される感触を」
 ふっと息を吹く少女。二匹の金魚が大口を開けて夏木に飛び掛かる。
夏木は襲い掛かる金魚を咄嗟に振り払う。何の感触もない。透けた。煙に映った立体映像のようだ。その時、夏木の右腕に激痛が走る。もう一匹の金魚が噛み付いていた。
「放せ! 化け物!」
 金魚は怒り狂ったよう首を振り、夏木を石畳に叩きつける。熊でも相手にしているようだ。抉れて血が噴き出す右腕を見て、夏木は戦慄する。倒れた夏木に金魚が群がった。
「夏木さん!」
 甲高い女の声。戸波葉子だ。
無線を受けて応援に駆け付けたのか。二匹の金魚がギョロリと目を向けた。戸波は金魚が襲い掛かるより速く、少女の胴に体当たりする。二人は縺れ合って石畳に倒れた。
「十四時五十五分、あなたを逮捕します!」
 少女は鈴を弾く。金魚は尾びれを揺らして戸波に迫る。戸波には見えていない。
「まだだ! いるぞ!」
 夏木が叫ぶと、戸波は少女の背に回り込み、喉元に腕を差して締め上げる。少女は戸波の腕に噛みついて抵抗する。しかし戸波は頸動脈を締める力を緩めない。
 その瞬間、金魚が消えた。
 少女の腕がだらりと石畳に落ち、鈴が手のひらからこぼれる。堕ちた。夏木は駆け出し、少女の落とした鈴を蹴飛ばす。耳障りな高音を立て、鈴は本堂の縁の下へ転がった。
「消えたぞ! 確保だ!」
 少女は意識を取り戻し、戸波の腕から逃れようとする。しかし夏木と戸波に制圧された身体は、石畳にうつ伏せになって動けない。夏木は少女の手首に手錠を掛けて宣言する。
「十四時五十六分、被疑者逮捕――」
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  ◆夏木誠一◆
五月七日、午後三時十七分。
 若津小学校を襲撃した少女を緊急逮捕し、捜査本部のある大淀警察署に連行した。前代未聞の虐殺劇を繰り広げた少女はマスコミに囲まれる中、裏口から署内に入る。
 パトカーから降りた少女は堂々と背筋を正して歩く。口元には冷たい笑み。少女の肩を掴む戸波は不安げに夏木を一瞥する。
 夏木は署内の撮影室へ向かった。そこに手錠を掛けられた少女が佇んでいる。身長は一五〇センチと少し。夏木はデジカメで正面、横顔、左斜めから撮影した。
 指紋の採取を終えた後、夏木はアイスの棒に似た採取用具を手に取る。
「口開けて。DNA取るぞ」
「……任意ですよね」
 少女が細い声を発した。夏木の背筋が竦む。
「逮捕されたら、写真撮影と指紋採取は強制。しかしDNAの採取は任意。あなたは当然のように採取すると言いましたが」
 夏木は採取用具を持ったまま固まった。すると少女はにたりと笑う。
「構いませんよ。応じます」
 少女はおもむろに口を開き、ぬめった舌を見せた。夏木が用具を近付けると、湿った生温かい吐息が漏れ出す。この口から、少女は『金魚』を産み出したのだ。

「お前には黙秘権がある。答えたくない質問には答えなくて構わん」
 取調室の席に着いた少女は薄笑みを浮かべたまま頷く。主任取調官は夏木が務める。補助取調官には戸波、立会官は先輩刑事の金原浩二郎が担当する。
「まず、お前は何者だ」
「黙秘します」
戸波が「名前ぐらい答えたらどうなの」と詰めるが、金原が彼女を制した。
「黙秘権は憲法38条1項に定められた権利だ。んで、警察が被疑者に黙秘権の告知をするのは義務だ」
一昔前だと、自白しない被疑者に怒鳴りつけたり椅子を蹴ったりするのも普通だった。
警察上層部が冤罪や誤認逮捕を防ぐために『警察捜査における取調べ適正化方針』を定めてから、取調べは一日八時間までとなり、被疑者の身体に触れる事すら禁止された。取調室のドアは開けておかなければならず、時々刑事部以外の警察官が見回りに来る。
「とりあえず、お前の事は『アリア』と呼ぶぞ」
 犯行予告で、少女はアリアと名乗っていた。本名と思えないが、こう呼ぶ以外ない。
 初回の取調べで身上経歴書を作成するのだが、この少女は名前すら口にしようとしない。
「じゃあアリアさんに聞くけど、なぜあんな事をしたんだ」
「あんな事――。子供たちを、殺した事ですか。グチャグチャに――」
 少女の瞳が輝いた。口元が微かに綻ぶと、金原のペンが走る。被疑者の一挙手一投足を取調状況報告書にまとめるのが立会官の役割だ。
「ああ。アンタの動機を聞きたい」
「復讐ですよ」

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