第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み わたしの殺した力士

『わたしの殺した力士』

走水剛(はしりみず・たける)53歳
1964年生まれ。第五回小説新潮長篇新人賞受賞。


ごうごうと大川をこえると両国国技館が見えてくる。銅版葺きの緑青色を朝日がてらす。
沢岸夕介はいつものように左の車窓に頬をよせた。「配色ハンドブック」をめくると「新国技館の大屋根に使われている」とある。その典型が国技館というのが愉しい。どの季節にも映える色だと思う。
六時前、両国駅におりたつ人影は数えるほどだった。街には花の甘い香りが漂っている。
夕介が編集部をとびだしてから三十分弱。ソファーで仮眠をとっただけでも身体は軽かった。しわだらけのワイシャツの背筋はのびている。朝食は抜き。稽古を見るだけの身だが力士にならって昼までを水だけですごす腹づもりだった。
満開の桜に見まもられた靖国神社奉納相撲が終わり、力士たちは夏場所に向けて稽古にはげんでいる。
大相撲の月刊誌をつくる夕介の暦の感覚はすこし変わっている。一、三、五、七、九、十一と、奇数月のみが頭のカレンダーにきざまれていて、偶数月は次の奇数月に吸収される。四月は「五月前」だ。
タクシーを使わずに本所の稲葉部屋へ。二時間は座りっぱなしになるから足腰を伸ばしておきたかった。
歩きながらスポーツ新聞をめくる。第一面のプロ野球記事には目もくれず、後半の格闘技面を二つ折りにする。相撲の記事のあつかいは大きくない。
それでも、「おっ」と声がでた。
「夏場所イチオシ力士」が小結・闘志(とうし)を取りあげている。
夕介が向かっている部屋の関取である。夏場所は新三役。横綱、大関に挑戦する大事な場所だ。
どうということのないコラムだった。巡業の土俵でぶつかり稽古をする闘志の写真がそえてある。
だが――。銀紙を咀嚼したときのような違和感が胸にひろがり、夕介は歩みをとめた。
名物の手打ちそばを十五枚たいらげたとある。もりそばを十枚食べたときに、どうせならあと五枚と記者からそそのかされた。「これで十五戦全勝だ」と話している。闘志の健啖ぶりを示すエピソードだ。
文末の署名は「鈴木信」。
夕介はジャケットから携帯電話を抜きだした。
「やあ沢岸君」
鈴木のこもった声を聞き、夕介は額の力をゆるめた。横綱の取材ならば同じ墨田区、鈴木も大川の東側にいる。
「今朝は、どこ?」と鈴木は言った。
「稲葉部屋です」
「闘志だね」
「鈴木さんは、横綱ですか」
「まあな。仕こみってわけじゃないけどね」
「すみません。記者に取材先を聞いちゃいけませんね。ええと、今朝の記事ですけど。あれ、ほんとうですか」
「ほんとうって?」
「そば、すすったんですか」
「そうだよ。そば食っちゃ悪いのかい」
「うどんじゃなくて、そばだったんですか」
「朝からどうした。そばとうどんのちがいくらいわかるぜ。おれも食ったけど、なかなかうまい二八そばだったよ」
鈴木は腰軽に地方巡業へ出むき、稽古も早くから上がり框に腰をすえる。そんな姿勢が好ましく、夕介はときおり鈴木と居酒屋の暖簾をくぐった。縁なし眼鏡の奥の目をさらに細める鈴木の表情を思いうかべ、夕介は言葉をつづけた。
「そば食って、なんともなかったんですね」
「そばに・・・・・・物言いでもあるようだね」
「思いちがいかもしれませんけど。あいつ、そばアレルギーだったかなと」
「そばアレルギー?」
鈴木の声が高くなった。
「そりゃ勘ちがいだろう。あれは、へたしたら命にかかわるくらいのもんなんだろ。・・・・・・用件はそれだけ?」
早朝の長話は禁物だ。夕介は電話をきって歩きだした。
空っぽの腹がしくりと痛む。すっかり足が重くなってしまった。
勘ちがいなどではない。夕介はこと相撲にかんしての記憶には自信がある。
十年前、闘志が新弟子のころに取材している。四股名は本名の「志水」だった。
入門のいきさつや経験スポーツなどを聞くほかに、夕介は好物と苦手なものをたずねた。この世界は食べることも稽古のうちだから、苦手なものに人となりがみえると考えた。そんな夕介の問いに、志水は「そばが食えない」と言った。
小学生のころ、冷凍食品のそばを口にすると吐いてしまい、呼吸ができないくらいに悶絶したという。「ただの食中毒かと思ったら、目ん玉がひっくりかえるような衝撃がきて、ほんとうに死ぬかと思った。頭蓋骨がしびれるような感じで」と志水は顔をしかめたのだ。
夕介は専門書にあたり、それが重篤なアレルギーであることを知った。当時の取材ノートにコピーの切りぬきが貼りつけてあるはずだ。
そばアレルギーは治るものなのか。稽古を重ね、身体を強くしていくうちに体質も変わったのだろうか。
夕介は新聞を折りたたみ、花ぐもりの空を見あげた。

ひのきの一枚板に「稲葉部屋」の力強い文字。表札に向きあい、夕介は背筋をのばした。
通りにまで鬢つけ油の匂いがただよっている。玄関と稽古場の窓は開けはなたれ、てっぽう柱をたたく音が聞こえてくる。
一礼して夕介が中へ入ろうとしたとき、竹箒を手にした男がでてきた。
「おはようございます」
夕介のあいさつに男は無言で頭をさげた。丸坊主の痩身がここには不釣り合いだった。背が高いところをみると廃業した若い衆なのだろう。志なかばで髷を切った力士は、ちゃんこ店修業などで第二の人生を歩みだす。だが、それも叶わぬ者もいる。こういう形で面倒を見るのも相撲界の懐の深さである。
稲葉部屋は十五人の力士を擁する。関取は闘志ひとりで、次の力士の番付は幕下である。部屋は闘志でもっている。
上がり框は二十畳ほどの長方形で、中央には分厚い座布団が三段がさねになっている。八時をすぎるころ、ここに親方が腰をおろす。
客や記者の姿はないものの、夕介は長方形の隅に胡坐をかいた。
黒廻しの若い衆が十四人。その中の二人が土俵で仕切りをはじめた。他は俵を取りかこんで稽古を見まもる。「見取り稽古」だ。しかし稽古とは名ばかりで、ただつったって身体を揺らしているだけの力士も多い。
土俵はひとつだけで運動量はそれほど多くない。だから朝の六時前から十一時すぎまで稽古がつづけられる。
立ち合い、ともにふわりと足を伸ばして組みあう。互いに激しいぶつかりあいをさけている。不細工なダンスを見ているようだった。
夕介は右手の拳を床にたたきつけた。なんのために朝早くから廻しをつけているのか。
ふくよかな顔がゆがむようなはげしい稽古はある。だがそれも短い時間のことだ。
もう一番だ。立ち合いで肉がぶつかりあう。べしゃっとした餅つきのような音。踏みこみにまったく迫力がない。なぜ、この一番にすべてをかけようとしないのか。夕介からすれば、廻しをまとって相手に身体をぶつけるのは選ばれた者の特権である。日本人男児の何人がそんな経験をできるというのだ。それなのに、今その瞬間に力をだしていない。自分を追いこむような、自分の限界と闘うような、そんなきびしい稽古が見たいのである。
そんな中、ただ一人しぶとく食いさがる力士がいた。

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