第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み パンドラの微笑み

『パンドラの微笑み』

西宮柊(にしのみや・しゅう)19歳
1999年生まれ。大学生。


 この世は不条理にして、面白く、素晴らしく鮮やかだ。
 光と闇、正義と悪、日常と非日常、勝利と敗北、表と裏。この世は相対する存在が乱立し、構成されている。
 人々は皆このうち、綺麗だと信じる方を前提に生きている。光、正義、日常、勝利、表。
だが、私は違う。闇が存在して初めて光は生まれ、悪がのさばることで正義が現れる。非日常を生きる者がいることで日常を過ごせる人がいる。負けがあって勝ちがある。裏側というものがあるから表側がある。そう思う。
今私は、夜の東京を歩いていた。綺麗な夜景。でもこの夜景も、サラリーマンの残業によって生み出されていると思えば滑稽極まりない。
そんな中、一つの路地に入る。途端に世界は変わり、光のない世界に変わる。人の質も変わる。当然、私がいるべき世界はこちらだろう。そういう自覚はある。
そしてこういう世界には、どうしようもないこの世の現実が蔓延している。不味い食事、臭い服、脆い家。それらをひっくるめた雰囲気。そしてそこで生きる人々の目。彼らが見つめるものは何か。これからも続く絶望か、それとも一筋の希望か。私は前者だと信じたい。この世の現実が、消えることがあってはならない。
私は更に奥まった路地に入った。そこには、男が一人向こうを向いて立っていた。当然のように、こちらには気づいていない。
私は、男に後ろから手袋を嵌めた手で静かに触れた。胸の裏側に手を、否、ナイフを押しつけた。
 続けて男が言葉を発する前にナイフを抜き取った。鮮血が溢れ出し、男が前に倒れた。
 私は男を一瞥した。汚れた目をしていた。同類と認めたくはなかったが、こちら側の人間だった。
 手袋を外し、ポケットからスマホを取り出し、一一〇番に掛ける。
「警察ですか? 男の人が血を流して死んでます。場所は……」
 単調に言う。場所も伝えて私は電話を一方的に切った。
最後に、石のようなものを取り出し、男に投げつけた。
それで終わりだった。これ以上私が関わる必要はない。私は再び元来た道を戻り始めた。
 死体が転がる風景。何ら変哲のない日常、私にとっては。いや、これが所謂非日常か。
 ある人が言っていた。
――逸脱行為や犯罪は、社会の病気だ。
 面白いと思った。犯罪は決して消えるものではない。社会が存在していく以上、必ず存在し続けるもの。そういう意味で、犯罪は病気だと。当然、治療方法が確立されていない不治の病だ。
 この世には相対する存在がある。さっき死んでいた彼。彼がいて初めて警察は存在価値を見出される。勿論それを突き詰めれば、彼を殺した犯罪者がいて初めて警察が必要となる。私だ。
 要するに、警察にとって、悪は必要な存在である。
 そして、必要悪は存在する。私はそう思う。
 でもその存在を、いや、それを生み出した根源を私は許さない。私から、その根源は、大切な人を奪った。生かしてはおけない。殺さなくてはならない。絶対に。
 初めの相手は、この国を裏で動かしていた男。秩序のために、秩序を乱す者。
「愛してあげる」
 私は汚い空に呟き、微笑んだ。

   第一章
 春の陽気が暖かい。雲一つない晴天で、桜庭麻衣は気分が良かった。トレードマークのポニーテールも綺麗に風になびいている。今日は諸々の事情で眼鏡を掛けているが、それさえなければ自分的には完璧なルックスを保っていた。スーツも決まっている。常々、「もっと良い仕事があっただろう」と言われるが、麻衣はそんな下らないことで仕事を選んでいない。
 ここは文京区にある帝都大学の文京キャンパス。今日四月八日は、帝都大学に新設される危機管理学部の開校式典が開かれる予定だ。あと三十分くらいというところか。
 キャンパスの入り口で、麻衣はある車が来るのを待っていた。予定では丁度今頃に着く手はずになっている。
 噂をすれば何とやら。こちらに向かって一台の黒塗りのポルシェが走ってきた。中の様子は見えない。
 そのポルシェが入り口で止まった。前後部座席から一人ずつ男が降りてきた。後ろからは七十後半の老人。前からは社会人初心者と見受けられる青年だった。知っていたが。
「ようこそおいでくださいました。今回の案内役である東野と申します」
 麻衣はそう言って二人に挨拶をした。声の調子もいい、いつも通りの高い声だ。
「私、岸田の付き人の稲森と言います」
 若い方の男がそう言った。なかなかのイケメンだ。麻衣のタイプではないが。岸田というのが老人の方だ。顔の彫りは、険しい人生を歩んできた勲章だろうか。
麻衣が頭を下げて、手をキャンパス内へ出した。
「会場はこちらです」
 二人の前を麻衣は歩く。そこで麻衣は右耳に手を当て、小さく呟いた。
「こちらリコ。マル対現着。案内中」
 向こうで了解、という返事が聞こえた。感度良好。最近の無線は優秀だ。リコというのは麻衣の職務上の渾名である。
〈こちらオル。今のうちに会社に潜っておきます〉
 仲間の無線。オルは後方支援が担当だ。いつも通りの張りのある良い声だ。
「お願いしますね」
 そう言って麻衣は無線を切った。
 帝都大学は日本有数の国立大学であり、旧帝大と並ぶ規模と偏差値だ。各界の著名人の母校であることも少なくない。
この文京キャンパスには主に文系学部が入っている。正面入り口から入ってすぐにある開けた道、桜街道と呼ばれる道を進む。
名前の通り、この道には桜の木が植えてあり、当然この季節は満開である。古くからあるもので、ソメイヨシノだ。
そしてこの道の左に文学部、右に商学部があり、奥を左に曲がれば経済学部、心理学部、経営学部がある。そして、今回増設されたエリア、道を右に曲がったところに、危機管理学部があり、今回の式典の会場がある。
式典の会場は、危機管理学部棟の一階。ここの一階はホテルのエントランスのように広々とした空間になっており、そのままこれを式典会場にすることになった。勿論二人を連れて向かうのはこの式典会場である。岸田繁(しげる)は今回の式典のゲストだ。
 二人を会場まで誘導し、待ち構えていた男性に麻衣は話しかけた。
「学長、岸田様をお連れしました」
「ご苦労様。君は持ち場に戻っていなさい。また祝賀会の案内の時に来て貰うがね」
「かしこまりました」
 野口豊学長に二人を預け、麻衣はその場を離れる。柔和な顔が印象の男だ。
 だが、すぐに後ろから先程聞いた声が聞こえてきた。
「東野さん、ハンカチ落としましたよ」
 麻衣は振り返った。声の主は稲森だったようだ。どうやらハンカチを落としたらしい。
「あ、ありがどうございます。私、おっちょこちょいで」
 麻衣は頭に手をやった。俯いてみせる。そして、上目遣いで稲森を見上げた。ハンカチを稲森から受け取る。その際、さり気なく稲森の手に触れる。
「あっ、すみません」
 今度は照れてみせる。稲森も少し照れくさそうだった。
「それでは、また後で」
「は、はい。案内の方、宜しくお願いします」
 そう言って、稲森は岸田の元へ戻っていった。
 麻衣も再び歩き出した。持ち場、即ち会場整理へ向かった。
 記者用のパイプ椅子群に辿り着く。既にマスコミはちらほら来ていた。
「最近の男の子って皆あんな感じなの? 可愛いのね」
 麻衣は一人呟いた。否、一人ではないが。
「俺はそんなことないっすよ。女耐性は付いてますんで」
 後ろにいた男がそう言った。言葉遣い通りの、見た目もチャラチャラした男だ。一応、会場整理の担当ということになっている。
「へえ、そう。キンも私からしたら可愛らしいけどね」
「それは……ありがとうございます、って言っておきます」
 キンが小声で言った。
「それどういう意味?」
 麻衣が首を傾げる。そう言いながらもマスコミの動きに目を光らせる。勝手に動かれては困るからだ。
「二人ともこんなところで遊ぶな」
 もう一人の男がそう言って近くに立った。今度は老けて見える男だった。ほうれい線が気になる。式典の客を装っている。
「すみません。そっちはどうですか?」
 麻衣が近づいてきた男、シゲに聞いた。
「そうだな、ヤメ警がたくさんいやがる。まあ問題ないが、注意しとけよ」
 シゲが口角を上げた。いつも以上に楽しそうだ。
「そうですか。ちゃんと覚えておいてくださいね」
「老人扱いすんなよ。まだ五十になってねえんだから」
「そうでしたね」
 麻衣が笑って返した。シゲはそのままこの場を去った。
「じゃあ俺も向こうに」
「了解」
 キンも向こうへ去った。皆、天気がいいし久しぶりの明るい舞台で楽しそうだ。まああまり表に出るべきではないのだが。
〈リコさん。こっちも現着しました。マル対の奥さん、凄いですね。若い男と寝て朝帰りですよ。流石若いだけありますよ〉
 無線にそういう報告が寄せられた。岸田の妻の話だ。年の差婚。最近の流行だ。遺産目当てであることは目に見えているが、岸田もその辺りは黙認しているらしい。
「そう。私でも朝帰りは無理ね。じゃあ予定通りに宜しくね、ドン君」
〈よく言いますね、この前……あ、いえ。了解……って君呼びはやめてくださいよ〉
 ドンからの言葉に生返事をして、麻衣はまたマスコミに目を向けた。

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