第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 時空裁判(本能寺)

『時空裁判(本能寺)』

東雲明(しののめ・あきら)57歳
1961年。会社員。


一.リーディング

 誰も居ない寺の中、『静寂』という文字が浮き出るような境内がそこにある。いま目の前に見えるその寺は京の都に佇む本能寺。当時天下人と言われた織田信長とともに、この世から焼失する前の姿だった。
 約百二十メートル四方というから一町ほどの寺域(じいき)の中に、信長が宿泊していた建物は、本堂ではなく約四十メートル四方の小さな御殿である。
 暫くすると、数人の雑兵達が寺の中に入って行く。雑兵の中には明智の旗印が翻(ひるがえ)る。誰かを捜しているように見えるが、寺の中は異様なほど静まり返り、鼠一匹見ることが出来ない。やがて狼狽する雑兵の姿が其処彼処(そこかしこ)に見えてきた。
 部屋には蚊帳が吊されているが、その中にも人はいない。もぬけの殻とは、まさにこのことだと神崎隼人は思った。
 やがてひとりの女性が現れた。下を向き兵士に連れられるその姿から、明らかに動揺が見てとれる。その表情は彼女も今起きていることが理解出来ないようで、ただ呆然と兵士に従って歩いている。そんな感じだ。
 戦闘らしい戦闘も起こらない。しかも、火の手さえ上がる気配がない。僅かに門の手前で一人の雑兵が殺されただけだった。
 伝え聞く本能寺の変と、まるでかけ離れた目の前の光景を、神崎はただ黙って見守っている。少なからず彼も動揺しているが、じっと現場を見詰める監察官のようだ。
 人の気配が無い寺で、捜索する明智の兵にも焦りの色が出始める。信長が何処にいるのか、神崎もそれが一番気になっていた。
 信長だけでなく織田の兵士もいない。遺体さえ見ることが出来ない、不思議な事件の様子に、神崎の頭の中は驚きと疑問で一杯になった。
 ここは間違いなく、天下を揺るがした謀反の現場、まさしく本能寺に違いない。時代も天正十年六月二日の早朝、神崎は予想外の展開に戸惑っている。
 夢の中で歴史の一部を目撃出来る彼は、目の前の光景が夢であることを認識している。その彼が明智の兵士になったつもりで、寺の彼方此方(あちこち)に意識を飛ばして信長の捜索を始めると、事件の現場である本能寺は、いつの間にか明智軍で溢れかえっていた。
 もう殺されてしまったのか、それなら遺骸は何処にある。『まだ焼け落ちていない寺の中なら、きっと見付かるはずだ』、現場の状況を見て神崎はそう呟いた。
 尚も捜索は続き、見付からない信長に神崎も焦り出す。しかし次の瞬間……、彼の後方で突然静寂な空間を打ち破る、凄まじい怒声が鳴り響く。
 部屋の片隅で息を潜めていた敵兵が、捜索中の兵士に切り込んできたからだ。それを見た明智の兵士が、躊躇うことなく刀で敵の体を貫いた。襲った敵が血飛沫をあげながら、絶叫とともに倒れ伏す。まさに人が絶命する壮絶な瞬間を神崎は目の当たりにした。
 人を斬り殺すことに躊躇がなく、また後悔など微塵も感じさないその姿は、次の獲物を探す血に飢えた狼のようだ。目だけをギョロつかせて部屋の中をゆっくりと徘徊する。
 今では見ることがない戦国武者の非情な残忍さに、背筋が凍るような思いと何かが背後に忍び寄る戦慄を、神崎は生まれて初めて体感した。
 しかし一方で、僅かな敵兵に妙な感覚に襲われる。明智の兵も襲撃の目的が織田の殿様とは知らされず、何故か京に来ている家康の討ち取りだろうと噂し合っていた。
 そこへ、馬上の将兵らしき武将が、「首は打ち捨てよ」と大きな声で伝令する。すると首を取った雑兵が命令に従い、その首を簡単に打ち捨てた。――手柄の証明である大事な首級を何故捨てるのか、神崎には合点がいかないことばかりだった。
 もう一度、寺の中に意識を集中する。しかし、伝えられているような争いはなく、世に有名な『本能寺の変』と目の前のギャップを、ただ呆然と眺めていた。
 ――これは本当に本能寺の変の現場なのだろうか?
 そう思った瞬間、目の前の光景が暗闇に消えて、天井から眩しすぎるライトの光源が彼の瞼を突き刺した。
「やあ、どうだった?」
 若い男性の顔が天井のライトを遮って、夢から目覚めた神崎の顔を覗き込む。まだ起きたばかりなのに意識はハッキリしている。まるで覚醒しているようで、男性が同僚の西岡拓也だと直ぐに分かった。神崎が目覚めの悪い朝のように、何か腑に落ちない表情でいると、白衣を纏った若い女性が近づいて、
「目的の夢じゃ無かったの、神崎くん?」
 と、声をかけてくる。皆が心配そうな顔を向けている。
「いや、そうじゃないけど、不思議な夢だったんだ」
「不思議?」
「……」
 俯きながら頭の中を整理するように、神崎が独り言を反芻し始めた。西岡達もそれ以上訊くこともなく、黙って見守っている。
 神崎のベッドには幾つかの装置が設置され、無数の配線が彼と繋がっていた。西岡が神崎からディスプレイに目を移し、装置から得られる情報を確認する。
「夢のリーディング値は凄く高いぞ、過去最高かもな」
 西岡が、ほっと安堵の溜息をついて神崎に告げた。

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