第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み EQ 彷徨う核

「貴国のプライムミニスター・ヤベにもよろしく伝えてくれないか」
「もちろんです。お二人の厚い信頼関係は、日本の政界でも有名ですから」
岸和田は、追従を貼りつけた顔が、もう自分の物ではないような気分で、話を合わせた。
「ヨコハマのアフリカ開発会議で会ってから彼とは親友でね。親子三代の政治家というのは、私とまったく同じ境遇さ。ファミリービジネス、家業としての政治は、国家や国民への責任感が違うのだよ。お互いに長期政権の利点についても話が合ったな」
ジャンビは幾重にも襞になった喉元を、気持ちよさそうに撫でつけながら、付け加えた。「優れた国家指導者が側近や友人の生活を潤してやるのは、職業的な責務ですらある。ヤベ首相はたいそう感激した様子で、私の手を握っていたよ」
残り十分間を、愚にもつかない自慢話で埋められてしまっては困る。岸和田は、本題に入った。
「ところで閣下、一つ確認しておきたいのです。大統領と側近の腐敗を糾弾するグループが、先月、首都郊外でハンスト中に襲撃され、十人が死亡した事件です」
「東京では寿司を喰ったよ。残念ながら、あれは我々の口には合わんな。魚は調理して食べるべきだ」ジャンビは、岸和田の質問を無視して応えた。
都合の悪い質問をはぐらかす大統領の対応が面白かったのか、ジャンビの横に立っていた軍服の男二人が、真っ白な歯を吹き飛ばしそうな勢いで笑った。気が付くと、執務室の四隅を固める警護員合わせて、十人ほどが、一斉に声を出した。
「各国の人権団体は、事件が、大統領警護隊が組織した暗殺グループによる犯行だったと指摘しています。いえ、閣下の直接指示だったと証言する政府関係者もいます。考えを聞かせてください」
岸和田の脳裏には、その事件で殺され、見せしめのように路上に放置された女性民主化リーダーとその子供たちの姿が、鮮明によみがえった。彼女たちは拷問された挙句、喉を切られ息絶えた。
ジャンビは「血なまぐさい話題が好きなんだな」と、テーブル上にあるクリスタルのジャーからウィスキーをグラスに並々と注ぎ、一気に飲んだ。そして岸和田に同じ酒を満たした別のグラスをすすめた。
岸和田はジャンビに負けない勢いで飲み干した。取材相手に出された物を拒否しない主義だった。
アフガニスタンでは、政府軍司令官に供されたハシシすら断らなかった。土地の文化や慣習によっては、拒否や辞退は相手を侮辱することになる。同行していた写真部の生真面目な若いカメラマンは烈火の如く怒って止めたが、岸和田は平気だった。事実を追うためならその程度のことは許される。
それに、ジャンビが出したのは、たかがウィスキーだ。仕事中はアルコールを一切口にしない記者もいる。岸和田は違った。頭脳の働きは冴え、体はいつもより大胆になり、殺戮と不正に満ちた世界に対する絶望感すら、少しだけ和らぐ。
ジャンビは満足そうだった。彼は執務室の冷蔵庫から小瓶を取り出し、クリスタルジャーに注いだ。琥珀のウィスキーが赤く濁った。それをまたグラスに注いで、岸和田に突きだした。
「これは?」
「特別なカクテル。先週死んだ反政府ゲリラの隊長が、最期に流した血です。実に愚かな男でした」
傍らにいた秘書が説明した。ジャンビはさらに一杯を飲み干した。
岸和田は言葉を失った。
「そんなに驚いた顔をするな」大げさに手を上下に動かし、ジャンビは言った。「殺したんだよ。わしの部族では昔から、敵の血を飲むと、不死身になるという伝統がある。知らないのか?」
 西アフリカにあるリベリアには、内戦中に殺した子供の血を飲むゲリラ指導者がいた。子供の血は自分を敵から見えなくすると信じたからだ。
「東京にはもっと美味いカクテルを飲ませるバーが山ほどある。いつか案内しますよ」と、断ろうとした岸和田の鼻先に、ジャンビはグラスを突きつけた。
 ウィスキーの香りに生臭さが混じっている。グラスを受け取った岸和田は、ジャンビの挑発的な目を見つめ返し、一息に飲んだ。
微妙な塩味が口中に広がった。
口の端から赤茶色に染まった酒がこぼれた。周囲の目には、薄味好みの吸血鬼のように見えただろう。
「ほう」と大きな目を瞬きさせたジャンビは、「がはははは」とザクロのように赤い口の中を見せた。「驚いた。日本人がこれを飲めるとは」
 込み上げる吐き気を飲み込んで、岸和田は促した。「インタビューを続けましょう」胃袋が吐き気で沸騰しそうだった。
ジャンビが指先で小瓶を左右に振った。顔がうすら笑いで、ゆがむ。岸和田は、笑った顔がこれほど醜い人間には会ったことはなかった。
赤い液体が半分残った小瓶が、ガラスのテーブルに置かれ、硬い音を立てた。
「これはトマトジュースだよ。わしはペスカタリアンでね。魚は食べるが肉は食わない。もちろん人間の血も飲まない。国家指導者は健康第一だ」
 驚きと怒りで一瞬、目の前の風景が白濁した。岸和田は拳を握りしめた。
「君はガッツがある。気に入った。SPに雇ってやろう。記者なんていう卑しい仕事を辞めるのが条件だがな」
こいつは最初からからかっていたのだ。体を屈辱が貫いた。「大統領、さっきの質問に答えなさい」岸和田の声は叫びに近くなった。
ジャンビは立ち上がった。インタビュー打ち切りの合図だ。
「待て」
岸和田はジャンビの前に回り込んだ。
深い暗い井戸のような彼の目を覗き込んで「暗殺を指示したのはあなただ」と迫った。
ジャンビは湿った音を喉元で立てると、岸和田の足元に痰を吐いた。黄色い体液は白い大理石の床に、つぶれた昆虫のように広がった。「援助大国、日本の記者だから大目に見てやったが、調子に乗るな」大きな手を水平に振って、首元を切る真似をした。「あの娘のようにしてやろうか」
写真で見た女性リーダーのぱっくりと開いた喉元の赤い肉が、フラッシュバックした。「関与を認めるんだな」くるりと後ろを向き遠ざかる大きな背中に叫んだ。
「ノー」ジャンビは、指をくいくいと振って見せた。
さらに回り込もうとした岸和田の肩を、警護隊員がつかんだ。使い込んだ野球グローブを思わせる大きな手だ。岸和田はそれを振り払った。すぐに太い二本の腕が、岸和田を後ろから羽交い絞めにした。迷わず右肘をその警護員の脇腹に叩き込む。背の高いその男のうめき声が、後頭部の上から聞こえた。腕の力が緩む。
ジャンビは扉を開けて、執務室の向こうへ消えようとしていた。岸和田は制止を無視して、ジャンビに近づいた。警護員の一人が駆け寄って、オートマティック拳銃を腰のホルスターから抜くと、銃口を岸和田の額に押しつけた。
岸和田はその手首をつかみ、捩じり上げた。拳銃を握る手の小指を掴み、へし折った。屈強な男でも小指を鍛えている奴はいない。ポキリと間抜けな音がして、拳銃が床に落ちる。大学時代から続けている少林寺拳法を実戦で使うのは初めてだ。禁止手を使ってしまったことに後悔が交じる。
銃を手放すようでは大した能力じゃないなと思ったその瞬間、右側のコメカミに衝撃が走った。遅れて激痛が脳に届いた。意識が消える直前、岸和田が見たのは、使い古されたカラシニコフ自動小銃の黒い銃床だった。

つづく

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