第17回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み ギフト

『ギフト』

黒川慈雨(くろかわ・じう)34歳
1984年生まれ。東京工芸大学デザイン学部中退。アルバイト。


 何も持たずに生まれてくる子供なんていない。

     プロローグ

 俺には読心術がある。文字通り人の心が読めるのだ。
「久しぶりじゃん聖夜~、どうしてたー?」
 目の前に座っている女の、語尾を伸ばす、俺への媚びた口調でわかる。
 まだ俺に気があるな
 この「力」のおかげで、ホストクラブ『SPADE♠』にいた頃、俺は入店早々ナンバーワンの座に着くことができた。この女はその時の客だ。風俗嬢をやっていてそこそこ俺の売り上げに貢献してくれた、客の中のエースに次ぐ、言わばスタメンのうちの一人といったところか。ホストを上がってからは一度も思い出しもしなかったが。しかし俺への態度はその頃から何も変わってない。余程未練があったのだろう。
「まあ、ぼちぼち。お前は?」
「えー、美姫は~」
 あの頃、客と店外で会う時はその客ごとにいくつか待ち合わせする場所を使い分けていたが、美姫に対していつも使っていたのがこの歌舞伎町近くのオープンカフェだ。
 手先が不器用なのか化粧が下手な女だった。それも変わらないようだ。アイメイクなんかひどいもので、もう目というよりは真っ黒な二つの塊と言った方が近い。そこからこれまた真っ黒な睫毛が触角のように伸びていて、全体としてまるで食虫植物のようだ。チラと見える鞄やメイクポーチの中も雑然としていて、適当に物を放り込んでいるのがよくわかる。意志が弱いせいで一つのことをやり遂げられず、すぐに楽な方、気持ち良い方へと逃げてしまう、けれどそれでも埋められない孤独感、劣等感を常に心のどこかに抱いている。ホストが一番カモにしやすいタイプの女だ。
 そしてこのタイプにはありがちなことだが、一人称が自分の名前。とはいってもそれは自己主張が激しいというのではなく、どちらかというと、自分自身に、美姫という人間がしっかりそこに存在しているのだ、ということを言い聞かせているように見えた。それだけ自我が脆弱なのかもしれない。
『皇聖夜』。それが俺の源氏名だ。本名はクソダサいから、当時は誰にも教えていなかった。だからホスト時代に知り合った人間はみんなこっちで呼ぶ。
しかし「美しい姫」と書いて『美姫』という名前も、初めて聞いた時はなんつー強気なネーミングだ、と呆れたものだ。
「そういえば聖夜、髪、黒に戻したんだー」
「まあな。ヘンか?」
「ううん、それもカッコいいよ~」
 だろうな
「ねえ、聖夜はいまなんの仕事してんのー?」
「なんだと思う?」
「え~、なんだろ、ヒモ?」
 真っ先にそれを出すなよ、だいたいそれ仕事か?
「違うの~?だってそれしか思い浮かばないもん。……じゃあ、バーテンとかー?それか、アパレルー、美容師―、あ!何か売りつけるやつ、訪問販売っていうか、セールス系~?」
「ブー。全部ハズレ」
「じゃあなにー?」
 首を傾げる美姫に、俺は驚きの正解を発表してやった。
「俺ね、先生になるんだ」
「先生!?先生って……、学校の先生?聖夜が?」
 そんなに驚いたのか、美姫は他の客が振り返るほどの声を上げた。
「……ああ」
 一緒にいる俺の方が恥ずかしくて、声を潜めて返事をした。
「女子校の?」
 なんでだよ
「違うよ。母校の私立小学校。一年生の担任」
「聖夜が小学校の先生!?マジ?え、本当なの?信じらんなーい……」
 美姫の声のトーンがまた跳ね上がる。どうしても信じられないらしく訝しむような目で見てくる。
「……嘘じゃないよねー……?」
「そんな嘘つくかよ。だいたい、これまで俺がお前に嘘ついたことあったか?」
 美姫はそこで否定せず、う~ん……と首を傾げている。俺はさすがに少しイラ立ってきた。
「……でも、そっかー。さすがに小学生なら、聖夜でも守備範囲外だもんね。女子高なんて入ったら、大変なことになるもんね。言われてみれば向いてるのかもー…………」
 独り言のような自問自答の末、勝手に納得したようだ。
 まあ、無理もないのかもしれない。
 俺だって信じられなかった。昔自分が通っていた小学校に教員として採用されて、しかも一年の担任だと校長に聞かされた時は。正気の沙汰とは思えなかった。
「……で?話ってなんだ?」
 数日前、どうしても二人っきりで話したいことがあるんだけどと、ホスト時代に使っていた携帯に連絡が入った。少し深刻そうな気配だったが、用事があるならさっさと終わらせてほしい。せっかくだし、俺もちょうど溜まってたから、この後は久しぶりにこいつとホテルに行くつもりでいるのだ。
「あ、うん……」
 美姫はそう言ったきり、ストローを回して目の前のアイスティーに浮かんだ氷で遊ぶばかりだ。時折り、でもなぁ~、とか、じゃあちょうどいいかもー?、とか呟くのが聞こえてくる。
「……美姫ねー、」
「ああ」
 美姫は腹の辺りを抑え、伏し目がちにして言った。
「できちゃったみたいなの~」
 それから上目遣いで俺の顔をのぞき込む。
「聖夜の赤ちゃん」
 時間にして一秒も空かなかったと思う。
「マジか」
 まず咄嗟に出た言葉はそれだった。
 え、こいつとヤる時、俺、ゴム着けなかったっけ?
 表情はキープしたまま、瞬時に頭を回転させる。
 美姫は俺の反応を見極めようとしている。俺が次に発する言葉から、俺の真意を測ろうとしている。
 こんな時は、こちらからは何も言わないに限る。
 驚いて声も出ない、というフリをして相手の出方をうかがうのだ。
 するとほら、痺れを切らし、女の方から口を開く。
「私、産むからね~」
「もちろんだよ!」
 コンマ数秒考えて、俺はその発言をチョイスしていた。
 美姫の両目がわずかに見開かれる。
「…………よかったあ~……、聖夜がそう言ってくれてー」
 息を吐き出すように、美姫の両肩がすうっと下がる。
「なに言ってんだよ、当たり前だろ」
「……そうだけどぉ~」
 元ホストの子供なんて妊娠して、何と言われるか不安だったのだろう。俺は男として信用されてなかったってことだ。まあ、その気持ちはわからなくもないが。
 しかし、俺だけじゃない。こいつだってさんざん遊び回っていたことを、俺は知っている。計算が合うか逆算してみようとしたが、考えてみれば最後に美姫とヤったのがいつだったのか、まるで覚えていなかった。
 緊張が解けたのか、目の前で勢いよくアイスティーを飲みはじめた美姫に、俺はどうしてもたしかめたくてたまらなかった。
 それ、本当に俺の子か?
「それでねー、名前、考えておいてくれるかな~!?」
 さっきまでの不安そうな表情が一変して、すっかり明るい笑顔になっている。
「あー……」
 名前。しかしいきなりそう言われても、いまだ俺には現実感がなかった。
「子供の名前―。聖夜、センス良さそうだから。お願いね~!」
 強気にダメ押しされた。何を根拠にか、きっと男の子だと思うの、と自信満々に付け加えて。
「よしっ、任せとけ」
 話の流れ上、そう答えざるを得なかった。
 あーっ、ごめん、そういえば俺この後まだ仕事残ってるんだった、フランクミューラーの腕時計を確認しながらそう言って強引に席を立った。ホテルになんて、行けるわけがない。
 美姫が払っておくから~。伝票をつまんでヒラヒラさせながらレジへ向かう美姫に、サンキュ、と少し困ったような笑顔を作った。ホスト現役時代は俺の方が会計していた。その後、店でドンペリを入れてもらうからだ。
 やはり機嫌がよくなったのだろう。美姫の足取りは軽い、後ろ姿からでも鼻歌混じりなのがわかるようだ。妊娠による外見上の変化はまだ見えなかった。その腰から尻にかけてのラインに思わず見惚れてしまう。何年経ってもスタイルをキープし続けているところだけはさすがだと思う。
 ……などと馬鹿げたことを考えている場合ではない、俺はすぐに現実に立ち返った。と、いうことは。 
 俺が、人の親になるのか?
「じゃあね~、聖夜。この子の名前決まったら教えてねー」
「あ……っ、美姫、ちょっと待った!」
「ん?なーにー?」
「…………いや、いい、やっぱなんでもない」
 美姫はなにそれ~、と少し笑い、店を出ると腰を揺らしながらどんどん遠ざかって行ってしまう。笑顔で手を振り続け、美姫の背中が完全に見えなくなるなり、すとんと手を下ろし、俺の顔からも表情が引いた。
 なあ、頼む
「堕ろしてくれ」
 たった今口から出そうになった、心の奥底の本音を、溜め息より先に俺は吐き出していた。

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