第17回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 天使の鎖

『天使の鎖』

滝沢一哉(たきざわ・かずや)47歳
1971年生まれ。道立北見緑陵高等学校卒業。現在自営業。


  プロローグ

 あァ、空から人間でも降ってこないかな。
 灰色のビルディングが建ち並び、狭く見える白い空を見上げ呟いてみても、何も起こらないことは分かっている。途方に暮れる、とはこういうことなのか。この先はどうなるのかと思ってみたところで、もはや望みも未来もないよう感じる。だが、人間のように絶望したところで自分を死なすようなことはしない。
 昨日のことが、ふと蘇る。
 呼び止めてきたメスは、占いといった未来を予言できる者だといった。手の平に刻まれた幾多の皺を見れば、相手の死ぬ時期がわかるという。たいしたものだな、試しに見てもらおう、と腕を伸ばす。「あなた、先は長くありません。先生に祈祷してもらえば大丈夫」と意味不明なことをいい、眼を向けた。
 確かに、捕食はしていないし、時間もない。
 ほぼ諦め、どうでもよくなった矢先に出会った。なにか食するものをくれるのだろうか、命を先延ばしする手立てを知っているのだろうか、人間とは凄いな、と思った。
 ついていく道すがら、ぼやけて見えるメスは饒舌だった。やれ先生は素晴らしい、やれあなたは恵まれている、やれ命を粗末にしないで下さい。キンキンするようなヴォイスで唾を飛ばし歩きながら語ってくる。どうでもいいから、と空腹にため息がでた。
 後ろ向きで歩きながら、もうすぐ先生のところへ、といった直後、道を走ってきたカーに目の前でメスが跳ね飛ばされた。カーの甲高い急停車の音と、衝突した鈍い低音とが同時に聴こえ、メスは人形玩具のように飛ばされ崩れ落ちた。
 辺りが騒然となり、人間が集まりだす。ああ、もったいない、と思う。
 運転手がガクガクと震えながら出てきて、地面に膝と両手をつき泣き出す。謝っても仕方ないのにな、と思ったのだが。
 手を開いて、平の皺をみる。
 一番深く刻まれた手の根元に伸びた線が、途中でぷつりと切れているように見えた。
 メスはそれが『生命線』だといい、命を明示しているのだといった。なんの根拠があるのか、さっぱりわからない。お前が命を死なしたではないか、他の心配などする前に自分のことだろう、なるほど、メスの生命線とやらは今日で終わりだと明示していたんだな、いいや、手の平の皺の短さを見て勝手に命を死なしたのか、動かなくなったメスの割れた頭部から広がっていく生臭く黒い血を眺めた。
 おびただしい数の人間と騒然さに嫌気がさし、背を向けその場を去った。遠くから賑やかなサイレンが鳴り響いてきた。
 遠く離れた所に、つい最近建設された電波を飛ばす鉄の塔がそびえ立っている。
 デジタルの時計がついていて、1の数字が四つ並んで見えた。もうすぐ眠る時間だ。目玉がしょぼしょぼしだし、脳核が意識をぼやけさせる。そういえば、水分もとっていない。皮肌が乾燥してくるのがわかる。
 仕方ないな、空をぼんやり眺めていた。
 太陽の光がガラス樹脂に反射しているビルディングの上に、薄くぼやけた人影を発見した。お? と思い、目玉をこらして凝視してみる。若いメスの姿だった。
 落ちるつもりなのだろうか。高い場所から、こちらを眺めているだけだろうか。どちらにしても、人間の考えることは理解できない。ごくりと口に溜まった粘液を呑みこむ。
 なにかを呟いている。空気の流れに消され、聴き取ることは困難だった。
 途切れとぎれに言葉が聴こえた瞬間、ふわりと身体が空の中に浮いた。
 おおう、と立ち上がった。黒い影のようになった人間が、もの凄いスピードで重力に引き寄せられてきた。地面が揺れるような衝撃、どん、といった衝突音が聴覚を刺激した。
 すぐそばに、人間が降ってきたのだ。
 頭部をまわし、辺りを見渡した。行き交うカーばかりで、歩行している人間や目撃していた人、駆け寄る人間はいない。
 まさか、思ってもみなかった。小躍りしたくなる衝動をこらえ、命が途絶えた人間に駆け寄った。
 潰れた人間の周りに、バラバラと巻き散らかり所持品だったカード類が目に入った。
 この人間の固有名称が印字されているものを拾った。アルファベットで綴られた名前には、YUMI MOTOHASHIと描かれていた。が、そんなこと全くもってどうでもいい。
 これで私は生き延び、永らえることができるのだから。

  1

 針のように降り注ぐ白に、目玉が溶けてしまいそうだ。
 薄く目玉の上下に揃う皮肌をしかめる。どうやら、太陽という名の忌まわしい光を放つ物体が、頭の遥か彼方に飛んでいる。全ての白が襲いかかってくるような感覚だったが、それはいつもと変わらない。
 目覚めも、いつもと変わらない。また生きていたようだな、あのコミックの続きが読めるな、と思う。
 私はため息とも、諦めともいえないような息をひとつつき、起き上がった。胸ポケットに畳んであった遮光メガネを耳にかける。
 眠りについたのが、ちょうど昼だったから、起きた時間も容易に想像できた。
 腕時計を見ると、長い針も短い針も1のところで重なり合っている。どうりで太陽の高さが手を差し伸べても、届くような場所にないはずだ、と安易に納得してしまう。もっとも触ったことなど一度もない。
 下肢(あし)を動かすとギシギシと骨芯がきしみ、ゴキッと鈍い音を鳴らした。身体をまともに動かすことさえ、久しぶりだ。真っ黒でナイフのような折り目のついたスーツを風になびかせ、ゆっくりと歩き始める。
 すぐそばにそびえ立つ巨大な鉄塔のデジタルが、13とふたつ並んで見える。
 創成川、と呼ばれる油水が穏やかに流れた場所をまたぎ、ざわざわとした人間が集う喧騒へ肢先を向けた。上を見上げると、ビルディングを結び太陽光線を若干遮ってくれているところに向かう。確か、アーケードといったか。『狸小路商店街』と描かれてある。
 狸という生物に興味も湧いたが、時間もない。一週間以内に好みの人間を特定せねばならない。贅沢を言わせてもらえば、健康的で美しく若いメスが好ましい。若い人間が行うナンパ、というやつだ。
 寝起きというのもあり焦ることなく、身体を馴染ませるように、歩を進めた。
 善は急げ、という人間がつくったことわざは信用していない。急いでいいことなど、今までなかった気がするからだ。どちらかといえば、棚からぼた餅ということわざが好きだ。
 ほどよく歩いた場所に、腰を落ち着けられるものがあったので、ひとまずそのチェアーに座ることにした。かなり低いチェアーだが、地べたへ座ればスーツが汚れるのも嫌だし、なにしろ、もはや疲れた。ちょうどいい。
 通り過ぎる人間は、輪郭がはっきりとしている若いメスが多かった。
 ほとんどの人間が、手に持った小型の機械を睨みながら歩いている。器用にぶつからず、早歩きをしている光景は奇妙だ。メスが多く、好都合だな、と思った矢先に後ろから声をかけられた。
「どこ座ってんだよ、お前」
 若いオスのようで、目玉の上に生えている細い毛を上げている。眉毛といったか。表情を読み取るときに、せわしなく変化する。
「なにか問題でもあるのか」
「お前、ケンカ売ってんのか」
 ケンカ、という言葉は聴いたことがある。人間同志、利害を感じとり暴力行為をしあうことだ。以前、メスの交配相手がヤクザという職業だったことがあった。その人間が好んでやっていたことだ。人間の利害こそ何なのか、よくわからない。
 私は、普通の人間より非力で弱いのだから、そんな暴力は受けたくない。ただ、殴打の痛みなど全く感じないけれども。
「なんだかフェアじゃないね。ケンカはできない」
「だったら、早くどけろ。ボケ」
 私は、オスの手によってチェアーから弾かれ、よろけてしまう。
 若いオスは口を歪めながら、座っていた黒い棺桶のようなチェアーを手にした。そこから、木製の武器なのか、糸が張り巡らされた道具を掲げた。
 私は、身の危険を感じずにはいられなかった。その場から逃げるように、立ち去る。
 そこからは、聴覚をつんざくような音声拡散兵器をオスが弾き、突如ヴォイスで叫びだした。私には、とても耐えられない。もう少し精度が高くなってから披露してもらいたいものだ。それではほぼ、騒音や雑音と変わらない。両手で聴覚をつかさどる部位の耳を抑え、背を丸めながらそこを後にした。
 なにより、私の聴覚は非常に敏感だ。仲間も、ヴォイスで分別できる。
 人間のそれはボリュームが大きく、会話程度でも私にとっては目玉の上をしかめたくなる。若いメスの集団になると、ヴォイスだけで脳核までびりびり感電してしまう。ひとりきりのヴォイス、もしくは命死(めいし)が迫っている人間くらい、ピアニッシモくらいが程よい。

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