第17回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 殺欲

『殺欲』

光井洋(みつい・ひろ)44歳
1973年生まれ。脚本家。
大学院中退後、派遣社員として働きつつ、漫画原作などのコンクールで入選。
2013年にテレビ朝日二十一世紀シナリオ大賞受賞。以降、テレビ番組で脚本・構成等にも従事。


   1

  せんせい あのね 
  きょうは ねこを ころしたよ
  まっしろなのを いっぴき
  はさみで ちょんぎって いきのねを とめたよ

 ちょきちょき、ちょきちょきちょき、ちょきちょき。

 白い毛皮が切り裂かれる。はさみを当てられているのは小動物の体、たぶんウサギだ。 内側からはじわりと真っ赤な血が滲み、桃色の肉が覗く。染料が無垢の布をすっと染めあげるように白い領域はどんどん狭まり――。
「麗華」隣から声をかけられ、頭の中を占めていたグロテスクな情景が消えた。
 代わりにいまにも泣き出しそうな叔母さんの顔がのぞいている。
 辛いけどしっかりね。来てくれた人の顔はできるだけ覚えておいて。あなたは喪主なんだから、と会場に入る直前、彼女に言われた言葉を思い返す。
 私は黙ってうなずいて、頭に浮かんだまさに悪夢のイメージを振り払うため、周囲に意識を向け直した。祭壇は仰々しくて、真ん中には花で飾られた大きな遺影が置かれている。この部屋はひどく広い。そのくせ窓ひとつなく、まとわりつく閉塞感に息が詰まりそうだ。漂う抹香臭さにも気が滅入るし、絞った音量で流れっ放しのインスト曲も湿っぽくて、うんざりする。私たちの前には長い長い人の列がある。羽根をもがれてやむなく歩むカラスの群れを思わせる黒衣の大人たちがずらずら、ゆっくり絶え間なく訪れ、お辞儀をしては去っていく。こっちもそれにあわせて、頭の上げ下げをずっと繰り返さなきゃならない。
 行列の大人たちは一様に押し黙り、おのおのがこの場にいちばん相応しいと信じた表情を張り付けている。沈痛に神妙で、哀悼の意を込めて。でも取り繕った眼差しは、私との対面で幽かに泳ぎ、その僅かな揺れは雄弁にこう語っている。
 十六歳で独りぼっちになるなんて可哀想に。
 はあ、まったく。悲劇のヒロインなんてまっぴらなのに。
 だけど無理もない。ただでさえ、幼い頃に母親を事故でなくして父一人子一人で暮らしてきたのに、その父親が自殺したんだから。誰もが同情して当然だ、少なくとも、表面上は。
 参列者は似たような喪服で武装してみんな大差なく見える。そんな中、大仰に泣いて、すごく目立つ人が現れた。メガネをかけた三十代くらいの男の人が、ハンカチで目元を押さえ、肩を揺らし嗚咽している。激しすぎて、逆に嘘泣きみたいだ。こんなに感情を露にしている人は他に見当たらない。『泣き女』ってやつを連想した。葬儀の際に雇われ、派手に泣き騒ぐ職業が世界のあちこちにあるらしい。まあ、この人の場合は『泣き男』だけど。
 そうかと思えば、不自然に険しい顔をしている人たちも来た。グレーの髪をした初老と、背の高い中年の男性ふたりだ。特徴のない喪服が匿名性をもたらしているにもかかわらず、他の参列者とは何かが違うように思える。ソリッドで近寄りがたい印象が、列が進むにつれ、臭い立つ。特に、年かさの男性の方から強く。迫力や貫禄にあたるものが、どこか鼻持ちならないと感じられる。平たく言えば、とにかく偉そうなんだ。
 ふたりが列の最前に繰り上がる。長身の中年男が蛇のような目で棺をにらむ。ぞっとした。その眼窩から漏れるのは、嫌悪というか憎悪というか――ともかく険悪な目つきだ。
 肩を叩かれ、彼は後ろを振り返った。そこには、表情も物腰も柔和な、すらりとした女性がいた。長身の男に隠れていたけど彼女もけっこう背が高い。きっと百七十はある。年齢は三十代半ばといったところか。
 そうして三人はまとまって祭壇へと向かった。中年男の大きな背中を眺めながら思う。
 いったい何だったんだろう、今の強烈な視線は。本当に嫌な感じだった。
 ぐずぐず。鼻をすする音がふいに耳に飛び込んできた。正面に良く知る少女がいた。クラス委員の飯島加里奈だ。両目ばかりか鼻の頭まで真っ赤にしている。でも私は見慣れた顔にほっとした。緊張も解け、口角が上がりかけるのをぐっと堪えなきゃならない。
 彼女を先頭に、同じ制服を着た馴染みの顔がずらりと並ぶ。一年三組の同級生たちだ。二、四、六、八……隣席で小学校から仲良しの河瀬雅もいて……十二、十四、十六……一人も欠けてないし、その後ろには担任をはじめ、先生たちの姿までたくさんある。
 わざわざ来てくれたんだね、みんな。嬉しいよ。
 涙を零す瞳、すすり泣く声、顔を覆う手。私たちの年頃はとても多感で、それを証明するかのようにほとんどの子が素直に悲しみを表している。級友の、会ったこともない肉親の死にさえ彼女たちは激しく反応する。雅が最前列に来て深く頭を下げた。クラスの中でただひとり、故人とも面識のあった彼女は暗い面持ちで、それには私もつらくなる。
 その後も参列者は絶えることなくやって来た。十回、二十回、三十回、機械的な黙礼をひたすら繰り出す。とにかく退屈で苦痛な時間が延々と続いて、
ちょきちょき、ちょきちょき、ちょっきん、ちょっきん、ちょきちょき――。
 ああもう、また。集中力が切れたせいか、悪夢が戻って来た。
 はさみで獣が傷つけられていく。妙に生々しく、手触りや血生臭さまで感じられそうなこれは、昨夜夢で見た情景だ。強烈に心のうちを占めているから簡単には拭えない。
 何なんだろう。わずかに覚えがあるような気も……昔みた映画かドラマのシーンかな?
 でもホラーやスプラッタの類はまず見ないし。じゃあ、やっぱり眠りの中で勝手にできあがったオリジナルの映像ってことか。大切な人を亡くしたばかりで無意識のうちに死を強く連想したせい、とか、おおかたそんなところだろう。なんて、つらつら考えていたけれど、視界に入ったひとりの参列者の姿に、再び現実へ引き戻された。
 目の前に女の子がいる。斎場には場違いな華々しさが、そこに咲いているように、あった。
 端整な顔立ちと凛とした佇まいには、同性の私でもひき込まれ見とれてしまう。美しい。たぶん私より年上だけどまだ成人してはいない。制服じゃなく、黒い喪服を着ているから大学生かな。だけど、誰? こんなに若い知り合いがお父さんに、なんで? 
 ひょっとして男女の――不穏な想像に足を突っ込みかけて、すぐに引き返した。
 父は歴史学者として一時は大学で教鞭をとり、最近は進学塾の講師をしていた。
 きっと予備校の教え子だ。若い参列者は同級生以外にあまり見かけなかった。ただ全くというわけじゃない。受験予備校での師弟関係は往々にして小中高のような濃密さに欠けると父は言っていたものの、それらしい人もちらほら目にした。彼女もたぶんその一人だろう。
 礼から顔を上げると目があった。
 柔らかい印象にもかかわらず、しっかりした哀悼の意が込められている。遺族への配慮と自らの悲しみが絶妙のバランスで配され、嘘が感じられない。と、彼女が口を開いた。
 え、何か言うの? 虚を突かれ、思わずその口元に注目する。
 すると彼女は慌てて口を閉じた。この場でお悔やみを言うのはマナー違反だと気づいたようだ。焼香へ向かう線の細い背を見つめていたら、急に胸を締め付けられるような感覚に襲われた。きっと彼女には両親がいる。仮に家庭の事情があるとしても、恐らく片方は存命だろう。でも私には、もうどっちもいない。
 焼香を済ませて去って行く、父の教え子だった美しい少女を眺めながら頭には古めかしい言葉がよぎっていた。今の自分を指すのにぴったりの一言だ。
 みなしご。
 その言葉に触発されたのか、ふと父のことを想う。
 お父さん、今までありがとう。本当に感謝しています。きっと大変だったよね。
 ああ、そうだ。予行演習をしておかなきゃ。明日身内だけで行う葬儀に必要な喪主の言葉がまだまとまっていないんだ。何から言おう。やっぱり、あのことかな。
 母が七歳の時に亡くなってから、父は男手ひとつで、十六歳までというたぶんいちばん面倒な年頃の娘を十年近く育ててくれた。
 もちろん衝突はしばしば起きた。帰宅の時間、物の配置、洗濯物の干し方にたたみ方。大きなことからささいなことまで、日常のすべてが言い争いの火種になり得た。ひとたび交戦状態に陥れば私は父を邪険に、ぞんざいに扱った。憎まれ口と言うにはあまりにきつい言葉だって放った。でもこんなことになると分かっていたら、もっと違う接し方もあったんじゃないか。そう思うと――。
 そう思うと? いったいどうだって言うんだ? 感謝や後悔といった感情はわいてくる。ただそこにはもっと大事な気持ちが不思議なほど伴われていない。
 悲しみ。それを私はあまり感じていないように思う。なぜか涙もまだ流れていない、三日前から一粒も。あの朝早く、警察の人がわざわざ家まで出向いて訃報を届けてくれた。
『お父さんが、ビルから飛び降りて亡くなりました』その話を聞いてから今日まで実感のないまま過ごしてきた。悲しみだけじゃなく、怒りや悔しさといった他の激しい感情もない。
 二人きりの家族なのに、私たちはすれ違いの生活を送っていた。特にこの二年ほど、父は仕事で酷く忙しく、深夜、私が寝た後に帰宅して、朝は私が父の起きる前に出かけ、顔を合わせる機会は週に一度あったかどうか。連絡は一応取り合っていたけど、家族としての感覚は希薄だった。自分には父なんていないような気さえしていた。

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