第17回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 弁護士は元アイドル

『弁護士は元アイドル』

山梨かおる(やまなし・かおる)52歳
1965年、東京都渋谷区生まれ。慶應義塾大学卒業。経営コンサルタント。
会社勤務を経て平成9年より現職。


**プロローグ

 テレビ番組に毎日出ている有名なエンジニアリング会社の社長が、東京の豪華なマンションのプールで水死したニュースが、職場で、学校で、十一月になったばかりの朝の話題を独占した。
 関西芸人がゲストを笑わせながら世相をおさらいしていく番組も、芸能界のベテラン記者たちが最近のタレントの浮いた話を深掘りする番組も、突然画面が報道スタジオに切り替わってしまった。
「番組の途中ですが、緊急ニュースをお伝えします。コメンテーターとしてもおなじみの会社社長、五十嵐直樹さんが自室の専用プールで亡くなりました。四十五歳でした。五十嵐さん自宅前には山田記者がおります。山田さん」
 画面には大きなテロップで、五十嵐直樹さん急逝、と大きな文字が出ている。
「はい、こちらは六本木のトリンプタワー前です。二十階建てのこのタワーの最上階が、日本のAI、つまり人工知能開発を進める上場会社、コネクトサイエンス社の社長、五十嵐直樹氏の自宅です。このフロアには、東京を広く見渡すプールがあり、ここで五十嵐氏が死体で浮いているとお手伝いさんが110番。救急救命士が現場で死亡を確認しております。日本のAIを牽引する五十嵐社長は、幼いころに両親を亡くされ、苦労の末に中卒で起業され、持ち前の勉強熱心で二十一世紀の二宮金次郎と言われ、テレビにも毎日出て若者に元気の出るメッセージを出していらっしゃいました。三ヶ月後に予定されている参議院選挙にも出馬するのではないかとの噂もありました。五十嵐氏急逝のニュースに、都内の若者は驚きと悲痛にくれています」
 若い報道記者は、自身も五十嵐のファンだったのか、自らのスマホの画面をカメラに掲げて、五十嵐の最後のインスタを映している。五十嵐が、ボリュームのある前髪をポマードでびしっと横分けにして、仕立てのよい背広に赤いネクタイ姿で笑っている写真だ。スポーツ好きな五十嵐は、いつも浅黒く日に焼けていた。報道記者がスマホを持つ手が震えているのを、ディレクターはそのままに流させた。
 画面は切り替わり、マイクを向けられ、絶句しているたくさんの老若男女の反応がしばらく映された。
 ベテランのアナウンサーはカメラ目線になってもう一度急死の事実を伝えると、
「山田さん、死因については水死ということですが、間違いないでしょうか?」
「はい、搬送先の病院でも溺死と報告されております。秘書によりますと、その夜は提携先の親密企業の社長A氏と会食ということになっており、酔ったまま泳いだことが原因とみられています。プールは温水であり、五十嵐氏は冬でも泳ぎますので十一月といえども不審な点はなく、警視庁M署は事故死とみているようですが、ただ先月あたりからコネクトサイエンスをブラック企業だとするSNSが炎上しており、五十嵐氏に恨みを持つ社員がいなかったかという線を調べています。夫人であり、副社長の五十嵐景子さんは長崎に出張中でしたが、悲報を受けてすでに上京の途についています。医師法上のいわゆる異常死体になりますので、警視庁は死体検案に進むものとみられます」
「なるほど。確認ですが、今のところ不審点はなく、犯罪を具体的に示すものはないということですね?」
「はい。これまでの調べでも、部屋に争われたあとどころか、普段と変わった点は一切なく、金目のものの盗難などもまったく認められないので、やはり会食で気をよくし、酔ったうえでの無理な水泳での溺死という見方が大勢を占めています。ただ、実業界では日本一のインスタのフォロワーを持つ五十嵐さんはスポーツ万能で、トライアスロンの経験者でもあったのでSNSでは他殺の可能性を主張する声が高く、警察もこの世論の動きを無視できない模様です」
「ありがとうございました。また詳しいことがわかったら教えてください」

 **

 警視庁M署の前には、報道記者が放列を作っている。その中を捜査一課の刑事たちが夜を徹して会議をしている。
 警視庁M署は、メディアに出している情報とは別に、当初から他殺の可能性を強く疑っていた。
「じゃあ十時になったから、いったん、打ち合わせを始めるぞ」
 捜査一課長が大会議室に刑事を集め、大きな声を出した。
 近隣の警察署から応援の刑事が数十人も来ているので、M署の中はかつてない緊張感に包まれている。
「不審な点はなんだ、言ってみろ」と、恰幅のよい署長が太い声を出した。
 事故死に最初に疑問を唱えた中堅刑事が立ち上がった。
「ガイシャの五十嵐さんは、家のプールに入る前には、提携企業の黒田社長との会食でしたが――」
「そっちは黒田さんに聞き込みして、裏もとれているぞ。会食の場所となった、高級料亭の女将も、たしかに二人に食事と酒を出したことを認めているんだろ」
「はい」
「会計帳簿は?」
「確認しています。伝票もちゃんと切られていますし、黒田さんのクレジットカードで支払われています。二人分で、五十万円ってところです」
「この時代に、すごい金額だな。それじゃあ不審点はないじゃないか」
「はい。あの店はさすがによくしつけられていて、どの従業員に聞いても女将に話を合わせます。女将のいないところでは刑事だろうが誰だろうが、お客の話はしないってわけです。ところがです、この料亭には下足番がいるんです。鳥取の高校を今年出たばかりのまさに丁稚奉公の男の子です。彼に聞いてみたところ、意外なところでつまっちまったんです」
「なに?」
「五十嵐さんの顔写真を見せれば、目を逸らしたまま、ええ、こういう方だったと思いますって頷くんです。預かった靴の形をと聞いたら、黒の革靴だというんです。いろいろなパターンの写真を下足番に見せて迫りましたら、立派な紐靴を指さしました。五十嵐さんがいつも履いているものです」
「まあ、ああいうやわらかい業界にいても、五十嵐さんって人はいつもスーツ姿で、真夏でもネクタイをつけてテレビに出ているもんな。靴も濡れたようにピカピカだって、女房がいつも感心している」
「ところがそれがおかしいんです」
「ん?」
「コネクトサイエンスの社員に聞いたんですが、このあいだの週末、五十嵐さんは趣味でやっている地元の軟式草野球で、無理にスライディングをして、右手の人差し指、中指、薬指をくじき、腱を切っちゃったんです」
「だから――?」
「だから靴紐は結べないんです。クレジットカード決済の記録では、怪我の直後に、スリッポンの黒革靴を八足も買っています」
「あ――!」
「……」
「あの場にいたのは、実は五十嵐さんじゃなかったのか!」

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