第17回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み Cide Story

『Cide Story』

伊達慧(だて・さとる)27歳
1991年生まれ。東北大学大学院修士課程修了。会社員。


第一章

1

 二〇三八年の夏、父が死んだ。ぼくが七歳のときだった。
 二十世紀から続く医療の進歩のおかげで平均寿命はのび続けていたけれど、それはあくまで平均の話でしかなかった。父の場合はまるで医療の神様に見捨てられたかのように、若いころから病気がちだった。入退院を繰り返し、医者から今夜が山だと言われたことも何度かあった。
 そんな父の死だったから、ぼくを含めて、家族はあるていどの心の準備ができていた。取り乱すことなく淡々と、父の死後の手続きを済ませていった。
 父の死によってショックを受けていたのは、ぼくよりもむしろ小学校の同級生や先生のほうだった。
 ぼくらの世代で、ぼくのように小学校に入って間もなく、父はおろか、祖父母を含めた肉親を亡くす人間はなかなかいない。平均寿命はすでに百歳近くになっていたから、曾祖父母が元気に生きているという同級生も少なくなかった。
 普通の人間が経験しない悲しい体験というのは、周りの同情を集めるものだ。
 父の葬式を済ませてから初めて登校した日、担任の先生がぼくを呼び出した。
「あなたのお父さんは、きっとどこかから、あなたを見守ってくれているはずよ」
 彼女はそう言ってぼくを励ました。まっすぐにぼくを捉えた先生の眼はうるんで揺れていた。なぜ先生の目に涙が浮かんでいるのか、そのときのぼくにはわからなかった。
 なぜ父の死が、赤の他人である担任の先生を悲しませるのか、その頃のぼくには理解できなかった。
 身内であるぼくでさえ、それほど悲しくはなかったというのに。

 父の葬式で覚えているのは、死者の世界の華やかさだ。
 菊や百合の花に囲まれて、白や黄色や桃色に彩られるのは死者の世界。死者の世界の中心には、父の遺影と棺があった。遺影の中の父は淡く微笑んでいる。冷たくなった父の身体は、数日前まで病院のベッドの上で苦悶の表情を浮かべていたのが嘘のように、棺の中で安らかな表情で横たわっている。
 死者の世界に比べたら、生者の世界は質素で暗い。お経が途切れることなく流れる中、みんな黒い服に身を包んで、みんな同じように哀しげな表情を浮かべて、みんな同じ動きをして、父に焼香をしていた。
 みんなが同じような格好をして同じような動作をするものだから、機械仕掛けの人形のように感じたのを覚えている。
「怖い」
 ぼくはそうつぶやいた。
「何?」
 隣に座っていたロイが、葬儀の厳粛な雰囲気を壊さないように、空気が漏れるようなかすれた小さな声で言った。
 ロイは長年病気がちだった父の介護をするためにやってきたアンドロイドだった。父の介護のあいまに、ぼくの遊び相手にもなってくれて、ほとんど家族の一員のようなものだった。ぼくにとって、遅れてやってきた兄のような存在だった。
 ぼくが答えずにいると、ロイはもう一度訊いてきた。
「何が怖いの?」
 ぼくは、焼香をする人たちを指した。
「みんな同じ格好で、同じ動作をしてる。ロボットとか、ゾンビみたい」
 ぼくの言ったことについて考えるような間を置いてから「そうだね」とロイは言った。相変わらずかすれた小さな声で、
「最初にこの風習を作った人は、どんな気持ちや魂を入れたんだろう」とロイは続けた。「ぼくらはその想いを受け継げているのかな」
 それは問いかけのようだったけれど、ぼくに向けられたものでないことは、何となくわかった。ぼくが口を閉ざしているうちに、ロイの隣に座っていた父方の伯母が立ち上がって、焼香をするために前のほうへ歩いて行った。ロイが言った。
「そろそろ、ぼくらの番だね」
「何をすればいいの?」
 ぼくは訊ねた。葬式に参加するのは初めての経験で、そこで要求される常識を何一つ知らなかったのだ。
「ぼくの後についてきて。ぼくの動作をよく見て、マネをすればいい」
「マネするだけでいいの?」
 ロイは安心させるようにぼくに微笑んで言った。
「マネするだけでいい。少なくとも今は」
 その微笑みはどこか哀しげだった。
 ロイに言われた通り、ぼくはロイのマネをした。
 小鉢から、細かく砕かれた木片を一摘みして、額の高さまで掲げた。それから摘んだ木片を、燃えた炭の入った小鉢に、パラパラと落とした。炭が一瞬、赤く輝いた。
 焼香を終え、自分の席に戻りながら、ぼくは思った。
 今の動作にはいったいどんな意味があったのだろう。
 
 父の棺が火葬場へと出発する直前、母は棺の中に入れなさいと、ぼくに十円玉を渡した。棺は七歳のぼくにとって高い位置にあったから、名前も覚えていない親戚のおじさんがぼくを抱え上げてくれた。
 棺の木の質感と、手に握った十円玉。
 その二つからぼくが連想したのは神社のお賽銭だった。
 だからぼくは神社で願い事をするように、棺の中に十円玉を投げ入れた。
 ぺしっという音がして、十円玉は父の顔に当たってはねた。
 それを見た母は、ぼくを叱った。
 今でこそ、それがどれほど罰当たりな行為であるのかはわかるけれど、当時のぼくにはなぜ叱られたのかわからなかった。
 何せぼくが人の死に触れるのはそのときが初めてで、葬式に出るのも初めてだ。手渡された十円玉は優しくそっと棺の中に収めるべきだということなんて知るはずがなかった。その十円玉に込められた意味さえ知らない。ぼくが十円玉をお賽銭と結びつける前に、母は説明するべきだったのだ。

 父の身体は豪華な霊柩車に乗せられ、ぼくらは質素な貸し切りバスで火葬場まで向かった。ぼくの隣にはロイが座っていた。
「さっきの十円、何だったの?」
 母に叱られたことが納得できなかったぼくは、火葬場へ向かうバスの車内でロイに訊ねた。ロイは物知りだった。何でも答えてくれて、理解しやすいように噛み砕いて説明してくれたものだ。
 でもこのときはいつもと様子が違った。顔はぼくのほうに向けていたけれど、ぼくの目を見てはいなかった。
 心ここにあらず。
 アンドロイドであるロイに、もともと心があるかどうかはわからないけれど、まさしくロイはそんな感じだった。そしてその状態のまま、ぼくの質問に答えた。
「お父さんが三途の川を渡るときに、船の船頭に渡す駄賃だよ」
 そしてロイは黙りこんでしまった。
 いつものロイならぼくの疑問に答えたあとで、さらにぼくのわからなそうな言葉があれば、訊かずとも丁寧に説明してくれるはずだった。
 この場合なら例えば、
「三途の川っていうのは、生きている人間の世界と死んでいる人間の世界の間を流れている川のことだよ。死んだ人はその川を渡って死者の世界に行くんだ。その川を泳いで渡ることはできないから、渡るには船に乗らなければいけない。その船を運転する人が船頭。駄賃っていうのは、電車とかバスに乗るときに払うお金のことだよ」
 と説明してくれたはずで、ぼくもそのとき、それを期待していた。
 でもこのときのロイは、黙ったままだった。

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