第17回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み その男、女衒

「俺は既婚者だが、幸いなことに幸造さんは独身だ」
「……」
 男の言うとおりだった。独身だし、結婚歴もない。決まった相手もいなかった。
「結婚する気はないかい?」
「ん?」
「まあ……はっきり言ってしまえば、偽装結婚なんだけどね」
「……」
 偽装結婚。ピンとこなかった。犯罪だというくらいの認識しかなかった。
「一年契約で百五十万。相手は新宿のマッサージ店で働く中国人。国に家族を残して出稼ぎで日本に来ているんだ。貧しい家族のために必死で働いてるよ。幸造さんも知っていると思うけど、日本で長期間働くためには色々とクリアしなけりゃならない問題がある。で、それを一気にクリアするには、日本人と結婚するのが一番手っ取り早くてね。相手が望めば契約の延長はあるし。もちろん、その際には百五十万を前金で支払う」
「……」
 やはり胡散臭い話だった。
「悪い話じゃないだろう?」
「……遠慮しておく」
「どうして!?」
 演技なのか、両腕を大きく広げ、心底驚いたジェスチャーをしている。
「こんないい話ないぜ。あんたは今までどおり、ここで仕事をしてりゃいい。書類上、婚姻関係を結ぶだけで、年間百五十万円のボーナスがもらえるんだぜ!」
「……怪しすぎる」
「怪しくないって!」
 心外だとばかりに、男が再び両腕を大きく広げる。
「結婚するということはだな、その女に何かトラブルがあった時、ワシにも責任が生じてくるだろう。それだけじゃなく、偽装結婚がばれたらどうなる? 当然、手が後ろにまわることになる」
 遠慮すると言っておきながら、完全には断りきれず、それについての疑問を口にしている。まるで不安を解消しようとするかのように……。幸造は、自分でも不思議な気分だった。
「大丈夫だって。マッサージ嬢なんてやってるけど、至って真面目で純粋な子でさ、迷惑なんてかけないよ」
「……」
「悪い話じゃないと思うぜ」
 軽い調子で男が言う。
「……しかし……どうしてワシなんだ?」
 最初から気になっていたことを訊いた。
 なぜ自分なんだ? もちろん男とは初対面だし、幸造は、新宿どころか、この八戸を一歩も出たことがない。ましてや、前科もなければ社会の裏側を見た経験もない。こういう人種と関わるのも、いや、話をするのもはじめてだった。
「幸造さんは真面目で借金もない」
 男が淡々と言う。
「……いや、普通は……まあ、こういうことに普通も何もないと思うが……金に困っている人間や、少しややこしい人間に頼むもんじゃないのかい?」
 幸造はごくごく素朴な疑問を口にした。
「いやいや、それは違うよ。真面目で無借金の幸造さんだからこそだよ。なぜなら、アウトローって奴には……まあ、俺もそうだけどよ……危なっかしくてこんな話を持っていけねえ」
「……」
「そんな奴は、すぐに契約するだろうけど、後々ややこしいことを要求してきたり、結婚しているから文句ねえだろうってことで、女の稼ぎを全部持っていきかねない。借金がある奴もそうだ。金がないからすぐに契約するだろうけど、そんな金すぐに使っちまう。酒やらギャンブルやら女やらにな。そもそも借金がある奴ってのは、飲む打つ買うのどれか、いや、そのうちの二つ、あるいは全部を嗜むからこそ、そんな状態に陥っているわけだからさ、契約料を十中八九、借金の返済には回さねえ。すぐに飲む打つ買うに使っちまうさ。すると次にどうするか……結婚した相手に金を要求するようになる」
「……」
 わかる気がした。
「もっと言えば、幸造さんみたいな人が結婚相手だと、当局も目をつけねえんだ。このあたりの人間のこと、色々と聞いたり調べた結果、幸造さんが一番キレイな人だとわかったから、来てみたんだ。幸造さんだと当局や警察に目をつけられない」
「……そんなもんかね」
 それとなく幸造を持ち上げている。男の手だと理解していたが、悪い気はしなかった。それに、男の言葉には一理あると思っていた。
 幸造は独り身だ。親はとっくに死んでいるし、特定の女もいない。二十歳の時に父親が、その翌年、母親が亡くなり、工場を継いだ。イカやイワシなど、水産品の缶詰工場だ。二人の保険金があったことと、商売も割に順調なため、男が言うように無借金経営で今まできていた。
 無借金経営と言えば聞こえはいいが、それはつまり、現状に満足し、投資を全くしてこなかった証拠でもあった。
 冒険はしない。若い頃からそうだった。両親は真面目でよく言えば慎重、悪く言えば小心者だった。その血を引いているのだろう、幸造もまた冒険などしない無難な人生を歩んできた。それが信念ではないが、幸造の生き方だった。
「どうだい、幸造さん? かわいそうな中国の女を助けると思って……人助けだと思って……」
「……」
 目の前の女衒は、当局のことを気にしたり、偽装夫婦間のトラブルを気にしたりと、それがポーズなのかもしれないが、安全に事を進めようという意識が垣間見えた。まあ、女からかなりの手数料を取るのだろうから、きちんとした仕事をしなければならないという気持ちがあるのかもしれない。
 これは安全な話かもしれない。冒険を避けて生きてきたが、四十一になった今、一度くらい冒険するのもいいかもしれない。いや、こんなもの冒険のうちに入らないかもしれないが……。
 だが、まだ決断できなかった。やはり親譲りの慎重さ、いや、小心さが顔を覗かせていた。
 幸造は、まるで時間を稼ぐかのように、もうひとつ疑問に思っていたことを男にぶつけてみた。
「ところで……」
「ん? 何だい?」
「あんた、女衒と言ったが、女衒っていうのは、偽装結婚の手配までするものなのかい? 一般的には、女性を風俗店なんかに売り渡す仕事だというイメージがあるんだが……」
「なんだ、そんなことか。まあ、基本的には、女を飲食店や風俗店に斡旋するのが仕事だけどね……頼まれりゃ、こんな仕事もするよ。俺は女にはやさしいんだ。女から頼まれりゃ、簡単に嫌とは言わない」
 男はニヤリと笑いながら言った。
「……そうか……しかし、今時、なぜ『女衒』なんだ? 何というか、仰々しいというか……それも自分で『女衒』を名乗るなんて……」
「それは俺がプロだからだよ」
 男は即座に答えた。誇らしげだった。それまでの冗談めいた口調とは明らかに違っていた。
「プロ……」
「ああ。女衒もどきの斡旋業をしている人間は新宿には山ほどいるよ。でも、どいつもこいつも女をモノのように右から左へ流すだけだ。アフターフォローも何もあったもんじゃない。その点、俺は……」
 男が遠い目になる。
「どうしたんだ?」
「いや……その点、俺はアフターフォローもするし、紹介した女が、店や客とトラブルになった時には間に入ることもあるし……まあ、とにかくそういうことだ。俺はプロを自認しているからこそ、女衒を名乗っている」
 女衒の言葉に嘘はないようだった。軽そうに見えて、意外と面倒看がいいのかもしれない。
「……わかった」
「ところで……どうだい、幸造さん?」
「ん?」
「例の話だよ」
「……ああ……そうだな……」
「どうだい?」
 男が再び尋ねてくる。
 百五十万あれば、老朽化したベルトコンベアを新しくできる。三人いるアルバイトたちが交代で修理してくれているが、もう限界に近かった。
「そうだな……」
 幸造は思案するように、低い天井を見上げた。

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