第17回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み その男、女衒

『その男、女衒』

浪華壱(なにわ・いち)49歳
1969年生まれ。大阪府出身。会社員。


     一

「女衒」と自ら名乗る男が現れたのは、暮れも押し迫った日の寒い夕刻だった。
 男は馴染みの店にフラッと入って来るという感じで、港通りにある幸造の水産加工場へやって来た。
革のロングコートに革パンツ、ティアドロップのサングラスに革手袋という出で立ちだった。それらはすべて黒。おまけに顎髭をたくわえ、どこから見てもマトモな人種に見えなかった。
 男は口元に笑いを浮かべながら、工場入口脇にある事務室に入ってくるなり、
「経営者の佐藤幸造さん?」
 と訊いてきた。低いが、やけに掠れた声だった。
 幸造が黙っていると、
「あんた、佐藤幸造さんだろう?」
 と繰り返し訊いてきた。
 幸造はそれには答えず、
「何だ、おめえ?」
 と質問に質問で返した。
「まあ、そうそうカリカリしなさんな」
 年齢不詳の男は口元をニヤリとさせながら、事務室のドアを閉めるや、石油ストーブの前の丸椅子に腰掛けた。
「やっぱ寒いね、北国は」
「……」
「みちのく一人旅でここまでやって来ました……と」
「……」
「何かつっこみなよ!」
「……」
 幸造が無表情に男を見つめていると、男はあきらめたように口元に笑いを浮かべ、唐突に言った。
「幸造さん、金欲しいだろう?」
「……」
 何と答えたらいいかわからず黙っていると、
「ま、金が欲しくない奴なんていないだろうけどな」
 と男は一人納得したように何度も頷きながら言った。
「金が欲しけりゃどうなんだ?」
 少し苛立ちながら訊くと、
「佐藤幸造さん、四十一歳。水産加工場経営。独身。家族なし。何と借金は……ゼロ。素晴らしい!」
 男が革手袋をしたまま拍手をした。籠ったような音が広がった。
「……だから一体何なんだ?」
 事務机に手をつき立ち上がる。ストーブを挟んで男を見下ろした。
 男がゆっくり立ち上がった。
「!」
 背が高い。百七十センチの幸造より十五センチは高いだろう。痩身のため実際より大きく見える。だからというわけではないが、迫力があった。圧迫感とでも言おうか。体の大きさからではなく、男の存在そのものからくる圧力。
「まあ座ってくださいよ、幸造さん」
「……」
 気圧されたわけではないが、男の言葉に従った。
「実は、いい話を持ってきたんだ」
「……」
「今回、あなただけにお届けするいい話ってやつですよ」
「……ふん、いい話だと? いい話を初対面の他人に勧めるバカがどこにいるんだ? 本当にいい話なら、あんたがそれに乗ればいいだろう! それに、話をする時は、その色眼鏡を外したらどうだ!」
 苛々し、幸造にしては珍しく声を荒げてしまった。
 だが男は臆することなく、
「……ああ、これね。まあ、お望みとあれば外しますよ」
 そう言いながら、大ぶりのサングラスを取る。
「!」
 眉間から右目を通って頬骨のあたりまで刃物で斬られたような痕が残っていた。抜糸は済んでいるようだが、まだ新しい傷のようだった。傷はピンクだ。右目は義眼ではないようだが、暗さを湛えているのがわかった。それも、ひどく深い暗さ。幸造のような平凡な人間が想像だにできないほどの経験を、この男はしているのかもしれない。
「ね、驚いたでしょ? だから外すの嫌なんですよ」
 明るく男が笑う。まるで顔に傷があることを楽しんでいるかのようだ。だが一方で、幸造は男が深い哀しみを抱えていることに気づいていた。それは、目の暗さと無関係ではないだろう。その哀しみは、男の明るい笑い声の中に上手に隠されていたが、幸造はそれを垣間見ることができた。
 男はサングラスをかけ直し、
「で、さっきの話の続きですけど……いい話があって、でも、俺がその話に乗るわけにはいかないんですよ」
「……」
「俺が乗ったら逮捕されちまう」
「ん?」
「重婚の罪でね。俺はこう見えても、嫁さんがいてね。これでも一応、妻想いのやさしい夫なんですよ」
「……」
 胡散臭い話だと予想できた。だが、男の話をさえぎることはしなかった。それは、続きを聞きたいというより、男自体に興味を覚えていたからだ。
 何しろ「女衒」だ。
 女衒というと、若い女性を買い付けて、遊郭などの色街で風俗関係の仕事を強制的にさせるブローカーのような存在というイメージがある。今の時代にそんな人間がいるのか疑問だったが……いや、それに似た仕事をする人間はいるだろう。いわゆる斡旋業というやつだ。ただ、自ら「女衒」と名乗るからには、男はただの斡旋業というわけではないのだろう。

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