第16回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み『生放送60時間──キボウノヒカリ誘拐事件』

『生放送60時間──キボウノヒカリ誘拐事件』

矢吹哲也(やぶき・てつや)66歳
1951年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、コピーライターとして広告代理店勤務。現在、販売促進企画コンサルタント。


第一章 史上最弱馬キボウノヒカリの誘拐
     1
 八月三日、栃木競馬場厩舎村――
何やら外が騒々しく、榊原真由は眠りを破られた。
車のエンジン音、ドアを閉める音、怒鳴り声も混じる。
真由が吠えそうになったところで、急に静かになった。
 眠りに戻りかけると、今度は、いななきが幾つも轟いた。
「うるさい!」
真由は枕を窓に投げつけた。「いったい何時だと思ってるのよ」
窓の外は、まだ真っ暗だ。
枕元に置いたスマホで時刻を確かめる。三時二十五分。
厩舎の朝は早いとはいえ、まだ活動開始の時刻ではない。
キボウノヒカリを引き運動に出すのは、毎朝五時頃と聞いている。それに合わせて、撮影の段取りを決めていたというのに……。
真由は、民放キー局《テレビ東都》情報ワイド局のディレクターとして、現在、『弱き者にキボウノヒカリを』と題した特番の取材にあたっている。百六十二連敗という新記録達成を二日後に控え、今日もスケジュールがびっしり詰まっている。
連日の酷暑だ。もう少し眠っておかなきゃ、体力も気力も持たない。
再び体をゴロンとさせると……、
ドンドン、ドンドン。木製のドアが激しく叩かれた。
無視したものの、内鍵のないオンボロ部屋だから、ドアが勝手に開けられた。
「榊原さん、大変です! 起きてください」
 ADの大場咲が飛び込んできた。
 この馬鹿女、あたしの寝起きが悪いって分かってるくせに……。
「いったい何の騒ぎなのよ、まったくぅー」
「キボウノヒカリが、いなくなっちゃったんです」
「……はあっ?」
 なぜか、頭にポッと浮かんだのは、
「ドッキリじゃないだろね。そうだったら、ぶっ殺す!」
 笑いさえ取れれば、何でもありのテレビ業界だ。バラエティ番組とは縁がないけど、業界一の美女を引っ掛ければ、絵になるわけだし。
「本当なんです。皆さんで探し回っているんですが、どこにもいないみたいで」
 咲は半泣きとなっている。
 体がブルッとなり、ひとりでに上半身が跳ね起きた。
「まさか……、もし、本当なら……」
 次の言葉は恐ろしくて出てこなかった。
 カメラマンの岸本修が部屋に駆けつけてきた。
「どうやら重大事件発生のようだな。馬自らが脱走できるはずもないから、何者かに連れ去られたと見ていいだろう」
 頭が真っ白になった。
「夜中に物音を聞かなかったか」
岸本が刺々しい眼差しで、指を突き付けた。
「何も……」
「あんたが一番近くにいたんだぞ」
そうなのだ。こちらは二階だが、窓を開ければ、すぐ真向かいに馬房小屋の扉が見える。距離は、僅か五メートルほど。物音が耳に入らないはずがない。現にさっきは目が覚めたではないか。
あまり寝つきのいいほうではないが、昨夜はいつもと違った。溜まった疲労のせいか、十時頃、部屋に入り、バタンキューだった。
ぐっすり寝入っていたようで、後のことは何も覚えていない。
ああ、あたしとしたことが……。
自分の頭を思い切りブッ叩いてやりたい。
「考えられる理由は二つ。物音を立てずに連れ出せるほど、犯人は馬の扱いに慣れている。もしくは、あんたが恐ろしく鈍感なだけ」
 嫌味たっぷりな言葉は無視する。
「だけど、なぜ、あんなボロ馬を? よりによって、こんな時に?」
「頭より先に体を動かせ。それが俺たち取材スタッフの鉄則だ」
 岸本は、小憎らしいほど冷静さを保っていた。
さすが、数々の事件現場を駆け回ってきたベテランだけのことはある……なんて、感心している場合じゃないよ!
「新進気鋭のディレクターさんよ。ドキュメントにハプニングはつきものだ。オタオタされちゃ困るぜ」
 余計なひと言にムカッときたが、そのせいで、ようやく頭が回転し出した。
指示を出す。
「取り敢えず、もぬけの殻となった馬房を撮っておくよ」
だが、外はまだ真っ暗闇だ。
「照明さんを叩き起こして」
岸本がニヤッとする。
「あんたが最後。スタッフは皆、撮影の準備に入っている」
      2
 真由は、宿泊場所となっている舟木雅夫調教師宅を飛び出た。
ここには、一人娘でキボウノヒカリの主戦ジョッキーでもある舟木奈央子と厩務員三名が同居しているが、誰の姿も見かけなかった。総出で探し回っているのだろう。
 馬房小屋に向かう。
外の様子に異変を察知したか、連鎖反応か、あらかたの馬が目を覚ましているようだった。馬房で暴れている馬もいれば、いななきを発している馬もいる。
馬の平均睡眠時間は四時間ほどだと聞いている。そのうえ耳が敏感だから、ちょっとした物音で目を覚ましてしまう。
真由としては、首を傾げざるを得ない。
あたしは、確かに熟睡していた。しかし、今のように馬たちが暴れ出せば、いくらなんでも目が覚めないはずがない。
ということは……、犯人は、他の馬に気配すら感じさせずに、キボウノヒカリを連れ出した。つまり、岸本が言うとおり『馬の扱いに慣れた者』の仕業だ。
他人の推理に同調するのは癪だけど、そう考えざるを得なかった。
スタッフ七名が全員揃い、撮影の準備に入っていた。
 照明が当てられたキボウノヒカリの馬房は、やはり空だった。
「スタンバイOK」
 声を張り上げた岸本に、真由は咄嗟の判断を告げた。
「特番用の撮影は、一旦中止。これから先は、事件報道に切り替える。取り敢えず、第一報として録画を撮っておく。あたしがレポートするから、よろしく」
 どんな事件が起きて、これからどう展開していくのか、さっぱり分からない。事件を報道できるかどうかも不明だ。キボウノヒカリの関係者や、通報を受けた警察から、取材を禁じられる恐れもある。
だが、少なくとも今だけは自由に動き回れる。テレビ屋としての本能に従い、カメラを回し続けるのみ、と真由は腹を括っていた。思い切りの良さなら、誰にも負けない。
 岸本がニヤリとして、マイクを手渡した。
「ブッチ切りのスクープだな」
「ヒカリが無事に戻ってこなけりゃ、特番が飛んじゃうけどね」
「ところが、どっこい。転んでも、ただじゃ起きねえってか」
「さすが榊原さんですね。勉強になります」
 咲が目を輝かせて、余計な口を挟む。
 普段なら「無駄口叩くな」と怒鳴りつけるところだが、スタッフの皆がノリノリになっているのは悪くない。
「一生に一度あるかないかのビッグチャンスに変えてやるよ」
 こうやって自分を焚き付け、仕事にのめり込ませるのが、真由の流儀だ。
「皆もそのつもりでね。どんな妨害があってもカメラを回し続けて」
「おーっ!」「任せとけぇー!」
威勢の良い声が一斉に上がった。
 真由はカメラに向かってレポートを開始した。
「ただ今、午前三時五十分です。事件の発生時刻はまだ不明ですが、ご覧のように、現在、馬房は空となっています」
カメラが、馬房内を映し出す。
「馬房内に破損箇所はないようです。敷き詰められた藁に乱れはありませんし、水桶や飼葉桶もそのまま残っています。つまり、馬が暴れたような形跡は全く見られません」
 淀みなくレポートしたうえで、推理を付け加えた。
「ここで、第一の疑問が浮かんできます。馬は臆病な動物と言われています。馴れていない人物に連れ出されようとした時、果たして暴れることなく従うのか……。この一点だけ取り上げても、大いに謎含みの事件と言えるのではないでしょうか。この後も、事件の推移を刻一刻、お伝えして参ります」
 視聴者にとって最も関心が持てる事件報道は、謎の提示だ。報じる側としては、もったいつけてもいいし、演出を加えても構わない。謎が深まるにつれて、視聴者の関心がどんどん高まり、視聴率がグンと跳ね上がる。
第一報としてはこれで十分、と真由は判断した。

つづく

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