第16回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み『生態系Gメン』

『生態系Gメン』

等々力亮(とどろき・りょう)57歳
1960年生まれ。一橋大法学部卒、団体職員。


     序 章

 春らしい穏やかな晴天が続き、花がいっせいに開いた。
 明るい日差しに映える鮮やかな紫色の花だ。
 茎はすらりと腰高で、葉は線香花火の光跡に似た形状をしている。
 可憐な花々は土手一面を長さ二百メートルにわたって覆い尽くし、川面から吹くそよ風に揺れている。
 宇土育夫(うどいくお)は視野いっぱいに広がる絢爛(けんらん)な光景を、悲しげに眺めていた。
 千葉と茨城の間をゆったりと流れる大河の広々とした河川敷に立ち、氾濫から街区を守るために築造された長大な堤防の法面を見上げている。 
 育夫の背後には未舗装の道路が走り、苦痛と自己陶酔とが入り交じった表情の市民ランナーたちが行き交う。その向こうは草野球のグラウンドで、そこからさらに雑草が茂った原っぱを経てようやく水辺に至る。
「お花、綺麗よね」
 不意に話しかけられ、育夫は振り向いた。散歩の途中と思われる老婦人が、品の良い笑みを浮かべていた。
「あんなに見事に咲きそろって。なんていう名前なのか、あなたご存じ?」
 育夫は後ろめたさから額に噴き出た汗を手のひらでぬぐい、XLの作業服に押し込めた大きな体を折り曲げて答えた。
「ナンヨウムラサキギク(南洋紫菊)、といいます」
 聡明そうな老婦人は、小さくうなずいた。
「やっぱり日本の花じゃないのね。外国のモデルさんみたいに陽気で垢抜けてるなって思ってたのよ」
「原産地はオーストラリアだと聞いています」
 老婦人は育夫に穏やかな視線を向けた。
「ここしばらく体調がすぐれなかったんだけど、ようやく暖かくなってきたから少し歩いてみようと思ってね。お庭の水やりも長い間満足にできなくて、いろんな花を枯らしてしまったの」
 急にいたずらっぽい顔になり、声を潜めて聞いた。
「何株か家に持って帰って植えれば庭もパアッと明るくなりそう。花盗人だ、けしからん、って怒る人もいないわよね」
 育夫はあわてふためき、小声でたしなめた。
「それは、おやめになるべきです。絶対に、そのようなことは、なさらないでください」
 老婦人は少女がむくれるような口調で反発した。
「どうして? あれだけたくさん咲いていても駄目なの?」
「たくさんだから駄目なんです。いやもっとたくさんになってしまうからまずいと言うべきでしょうか。とにかくあの花だけは、持ち帰るのをおやめください」
 老婦人は表情を曇らせた。
「あなたの口ぶりだと、何か理由がありそうね。もしかして、あんなに可愛らしい花が麻薬の原料になったり、毒になったりするとか……」
「いえ、ケシやトリカブトのように特殊な成分が含まれているわけではありません。でもあれは」
 言いかけたとき、土手のてっぺんに三十人ほどの人影がわらわらと現れ、花を踏み荒らしながら斜面のあちこちに散った。率いているのは頭髪の薄い初老の男と、若くはないが姿勢のいい女だ。二人の作業服は色もデザインも異なっている。
 男が小型拡声器を構え、がらがら声で命じた。
「えー、みなさん準備はいいですかね。それじゃあ、さっき打ち合わせた通り、駆除に取りかかってください。花だけ、とか、茎の途中から、なんていう中途半端なことはしないで、根こそぎでお願いしますよ、根こそぎで」
 男の異様な指示は、あたりに響き渡った。
 高齢者や中年女性、フリーター風の若者らで構成された一団はいずれも軍手をはめており、それぞれがしゃがみこんで力任せにナンヨウムラサキギクを引き抜き始めた。動作に感傷めいたものは微塵も感じられず、時折土手から転がり落ちそうになりながらも、黙々と作業を続けている。
 美しい花の絨毯がみるみるうちに虫食い状に消えていく。軍手の集団が通り過ぎたあとはコンバインで耕されたように土があらわになり、束ねられたナンヨウムラサキギクの残骸がそこかしこに積み上げられている。
 目の前で繰り広げられる無慈悲な光景をぼうぜんと眺めていた老婦人が、とがめるようにつぶやいた。
「土手のお手入れなら、なにもわざわざ満開の時期を選ばなくっても……。お花畑を毎年楽しみにしてる人だってたくさんいるのに」
「申し訳ありません」
 頭を下げた育夫を不審そうに見やった老婦人は、土手の中腹で作業を監督している女と育夫とを改めて見比べ、同じ作業服を着ていることに気付いたようだった。

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