第16回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み『ダージリンには早すぎる』

『ダージリンには早すぎる』

井塚智宏(いづか・ともひろ)42歳
1974年生まれ。不動産管理業。大学卒業後、現職に。


第一話「彼女が翔んだ理由」

    プロローグ

 人が死ぬ瞬間というものはめったに見られるものではない。まだ十七年しか人生を生きていないのなら、なおさらだ。
 その朝起きたときは、いつもと違う日になるような予感は少しもなかった。裏庭の見えるリビングでひとりテーブルに向かい、トーストをブラックコーヒーで流し込む。その後、歯を磨き、制服に着替えて、髪の毛をブラシで梳かした。何ひとつ代わり映えのしないルーティーン。それらを黙々とこなし、鈍い艶を放っているローファーを履いて、家を出た。
 駅へ行くのもいつもと同じようにわざわざ遠回りの道を選んだ。その道の途中には、数年前の落雷で廃屋になった家があり、そこに野良猫が住みついていた。真っ白な毛並みでどこか気品のある顔をした猫だった。人間にはなついておらず、わたしが通りかかっても、つんと澄まして知らん顔をする。その猫を見るのもルーティーンのひとつだった。別に餌をやるわけでもない。ただ見るためのだけに、その道を通る。その猫は、自分と似ているような気がしたからだ。媚びることなく、人と群れない。
 今日も猫が軒下にもぐりこむのを見届け、駅に向かった。長い石段を登りきったところに駅はあった。自動改札機はあるものの、二十年以上も改装されていない駅舎は古びている。改札を抜けてホームに出ると、電車を待つ人たちの姿がちらほらと見えた。
駅の裏手にある鬱蒼と茂った雑木林で、蝉が鳴き始めていた。今日も暑くなりそうだった。
 ホームの端に、わたしと同じ制服を着た女子高生が立っていた。向こうを向いているので顔は見えなかったが、そのすらりとしたスタイルで、一条莉奈だとわかった。うちの学校で、彼女ほどしなやかな体躯の女の子はいない。渋谷や原宿あたりだったら、そんな女子高生は珍しくないのかもしれないが、この多摩地区ではレア、だ。
 紺色のスカートからすらりと伸びた素足は、女のわたしでも見惚れるほどだった。その肌は一度も陽に当たったことのないように白い。莉奈はこちらには目もくれず、ピンク色のカバーにおさめたスマートフォンに目を落としていた。
 アナウンスが流れ、線路の向こうに列車が姿を現した。快速列車で、この田舎駅には止まらない。電車の風圧でせっかく整えた前髪が乱れるのを避けるために、すこし後ずさりする。
 何気なく莉奈のほうに目をやると、なぜか彼女はホームの縁に立ったままだった。
前髪が乱れるのが気にならないのだろうか。
ぼんやりとわたしが見ていると、莉奈はスマートフォンを右手に握りしめたまま、走ってくる列車に正対するように向き直った。
 そこでようやく彼女の様子がおかしいことに気がついた。列車が警笛を鳴らす。
次の瞬間、莉奈はホームのコンクリートを蹴り、まるで踊るかのように線路へと身を投げた。紺色のスカートがひるがえるのがスローモーションのように見えた。
けたたましく警笛が鳴り響く。急ブレーキを踏んだ車輪が泣き叫ぶような金属音をたてた。だが列車はほとんど減速することなく、莉奈の華奢な体をあっという間に飲み込んだ。

    1

 ホームは騒然としていた。
 すぐに警察と救急隊が駆けつけてきて、救助作業を始めた。もっとも救助作業というのは名ばかりで、実際のところは散らばった莉奈の肉片を集めるための作業だったと思う。
さすがに直視することはためらわれ、わたしは後方のベンチに腰かけてぼんやりとしていた。目の前で同級生が電車に飛び込んだという現実がまだ受け入れられずにいた。
 少し離れたところで、莉奈を巻き込んだとみられる電車の運転手が警察から事情を聴かれていた。整った顔立ちの、まだ若い男だった。
「……突然、飛び込んできて……とっさにブレーキを踏んだんですけど……間に合わなくて……俺、目が合っちゃいましたよ……」
 その顔はひどく蒼ざめ、額には玉のような脂汗が浮いていた。年齢から察するに、こうした事態に遭遇するのは初めてなのだろう。
 気の毒に、と思う。彼の脳裏には今後も、事故の光景が折に触れてよみがえるに違いない。精神的に弱い人間ならば、このまま運転手の仕事を続けることはできないのではないだろうか。
 ホームを少し過ぎたところに、莉奈の命を奪った車両が停まっていた。気の毒なことに乗客たちは車内に閉じ込められたままだった。何人かの乗客が窓から救助作業の様子を不安と好奇心が入り混じった表情で見つめていた。
 その中に見覚えのある人間がいた。同じクラスの須川学だ。現代の高校生で、古めかしいダブルブリッジの眼鏡をかけているのは彼ぐらいなのですぐにわかる。
 須川は首から大きな一眼レフをさげていた。確か彼は写真部に所属していたはずだ。さすがに救助作業の様子を撮るようなゲスな真似はしていなかった。だが食い入るように線路のほうを見つめている。
 ふと視線があった。その瞬間、須川の目におびえの色が浮かんだ。彼はすぐに目をそらせた。今、須川の瞳に浮かんだ表情は何だったのだろう。それが気になった。

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