第16回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み『自白採取』

『自白採取』

田村和大(たむら・かずひろ)41歳
1975年生まれ。福岡県出身。記者を経て、現在弁護士。


   1
                   四月二十八日

「とんでもないことをしてくれたな、飯綱」
 田中係長の不機嫌な声が携帯電話から流れた。
「とんでもないこと?」
 飯綱知哉は訝しげに聞いた。周りの者が,警部補の飯綱に注目する。飯綱は皆に顔を顰めてみせて、電話に意識を集中した。
「お前のところのマル害と、こちらのマル被のDNA型が一致した」
 田中の言葉に、考える間もなく飯綱は返答していた。
「ありえません。二人が別人であることは明らかです」
「だからとんでもないことなんだよ」
 田中は押さえた声で、しかしどこか諦めを感じさせる口調で言った。
「すぐ捜査本部に来い。管理官も待っている」
 通話が途絶える。
(あの本部にはつくづく呪われている)
 通話の切れた携帯電話を耳に押し当てたまま、飯綱は思った。それは,飯綱にとって三日前の四月二十五日に始まった。

   2
                    四月二十五日

「管理官、お話があります」飯綱は迫口の前に進み出た。
「ご再考を。起訴を決めるのは早過ぎます」
 飯綱は直立不動で迫口に訴えた。迫口は椅子の背もたれに体重を預け、むっつりとした表情で腕組みをし、微動だにしない。
 飯綱の隣では、係長の田中が眉根を寄せ、軽く目をつむったまま後ろ手に立っている。
 百八十センチを超える長身の飯綱に対し、百七十センチに満たない田中が並び立っている光景は、見る者にどこか滑稽な印象を与える。迫口は、飯綱の顔をゆっくりと見据えた。
「検察官との協議内容は伝えたはずだ。捜査方針に変更はない。満期に起訴する」
「まだ動機が判明していません」
「痴情のもつれ。動機ははっきりしている」
「管理官はそれでよろしいのですか」
「形は整っている」
「上っ面だけです。後でひっくり返されかねません」
「ひっくり返されようが、有罪は動かん。それだけの捜査をしてきた。違うか」
「それは、そのとおりです」
 周囲では、捜査本部の人間が四、五人ほど、遠巻きに飯綱たちのやりとりを見守っている。田中が口を挟んだ。
「飯綱は第三者犯行を疑っています」
「知っている。捜査会議でも議論した。しかし、山下以外に犯行を疑わせる者はいなかった。お前がやった鑑取りでもそうだったろう」
 飯綱は下を向き、唇を一文字に引き締めた。
「マル被を逮捕してから、これまで十八日間にわたって捜査を尽くし、その結果起訴するに足りる証拠が集まった。起訴するのは当然だろう」
 迫口はそう言いながらも、頭から飯綱を怒鳴りつけることはしなかった。
 迫口は叩き上げの管理官だ。一貫して捜査畑を歩み、一時期生活安全部に出たことはあるものの、そのほとんどの刑事人生を一課で過ごしている。だからこそ迫口も事件の決着に納得しかねるものを感じているに違いない。
 しかし、勾留延長満期が迫り、捜査本部付きの検察官との協議も終わり、刑事部長から捜査本部縮小の命も出ている状況では、管理官といえども出来ることと出来ないことがある。隣にいる田中もそうだ。田中の眉間に刻み込まれた皺の深さが苦悩を物語っていた。
 二人の姿を見て、飯綱は反駁の意思を失った。田中とともに一礼すると、管理官の机を離れた。
「主任、いかがでした?」
 飯綱が捜査本部の定位置とでもいうべき席に戻ると、その後ろの席で書類を作成していた馬場が声をかけてきた。馬場巡査は、飯綱の三人の部下のうちの一人である。
 捜査本部の机は三分の一ほどが埋まっており、刑事たちが捜査本部支給のノートパソコンで書類作成に勤しんでいる。捜査も大詰めを迎え、それまでの捜査経過を記録した捜査書類を作成しておかねばならないのだ。
「予定通り、満期に起訴するそうだ」
「そうですか」
 馬場はパソコンに目を落とし、書類作成に戻った。馬場は主任である飯綱に気を遣ってはいるものの、内心では余計な波風を立ててくれるなと思っているに違いなかった。それは多くの捜査員が思っていることだろう。これまでの捜査を、一人の意見で覆されてはたまらない。
 飯綱は、机の上においていた捜査事案概要書を取り上げた。迫口管理官への上申を田中係長に願い出る前に、頭の整理のため読み込んだ資料だ。飯綱は、読むではなくぼんやりとその資料に目を落とした。

 事件の発端は、多摩の山中であった。
 登山に来た大学生のグループが、野生動物に掘り起こされて地面に露出した、人の前腕らしき骨を発見したのである。大学生からの通報で駆け付けた高尾警察署の一隊が慎重に穴を広げると、髪の長さからして女性のものと思われる死体が姿を現した。後に死後二週間程度と判明した死体は、食乱されていたこともあって白骨化が進んでいた。
 検視によって頭蓋骨に陥没骨折がみられたことから、死体遺棄、殺人事件として所轄の高尾警察署に捜査本部が設置され、警視庁捜査一課からは飯綱の属する殺人犯捜査第七係が出動した。
 検視に続く司法解剖によって、頭がい骨骨折は同心円状の陥没骨折と、その中心から放射状に伸びる線状骨折から成ることがわかった。
 また、骨の一部に、窒息死の典型的所見であるピンク骨が見られた。ピンク骨は窒息時に生ずる鬱血によって毛細血液中のヘモグロビンが骨質に浸潤し、骨や歯がピンク色に染まる現象である。
 これらの所見から、司法解剖を行った法医学の教授は、被害者は頭部を平滑面のある鈍体で殴打された後、生きたまま土中に埋められ、窒息して死に至ったもの、と鑑定した。
 死体の衣服が脱がされており、遺留品も見つからなかったことから、身元捜査は長引くかと思われたが、それは杞憂に終わった。被害者のDNA型が、警察庁の管理するDNAデータベースでヒットしたのである。
 ヒトはおよそ六十兆個、一説によると三十七兆個の細胞からできている。
 その一つひとつの細胞には核があり、この核の中の、染色体と呼ばれる組織に、DNAと呼ばれるデオキシリボ核酸が収納されている。
 DNAは二本の鎖が結合した二重らせん構造をしており、その二本の鎖を結び合わせているのが、塩基と呼ばれる物質であり、塩基にはアデニン、グアニン、シトシン、チミンという四種類がある。
 DNA型鑑定は、DNAのなかの特定の領域における四種類の塩基の配列、つまり並び方を「型」として利用し、個人を識別しようとするものである。
 警察ではこれまでDNAのなかの十五の領域を用いて型の判定を行ってきた。その十五の領域における型を組み合せたとき、すべて同じ型が出現する頻度は、約四兆七千億分の一であるといわれている。
 そして警察庁は平成十七年から、被疑者のDNA型を全国の警察から収集し、データベース化して捜査に利用している。その登録件数は、百万件とも二百万件ともいわれている。この警察庁DNAデータベースで死体のDNAを照合した結果、被害者の身元が判明したのである。
 被害者は、水前千晶という芸名で活動していたことのある、本名宮原千寿という三十七才の女性であった。宮原は主にモデルとして活動し、タレントして在京テレビ局の深夜番組に出演したこともあったが、美人局まがいの事件で恐喝罪の共犯者として逮捕され、その後芸能界に復帰したものの特に注目を浴びることもなく引退していた。その恐喝事件のときに採取されたDNAがデータベースに登録されていたのである。
 被害者がわずかながらも芸能界に関係していたということもあって、マスコミの報道はそれなりに加熱した。
 死体発見から四日目、事件は急展開を迎えた。男が出頭してきたのである。
 山下貴一と名乗った四十五才の男は、出頭直後の取調べで、宮原から別れを切り出されため、かっとして頭を殴って殺し、死体を隠すために服を脱がせて山中に埋めたと、モゴモゴとこもった声で供述した。死体を埋めて逃げたものの、報道を見て怖くなり、出頭してきたという。
 痴情関係のもつれ。
 捜査本部は山下の自白の裏付けに奔走した。

ページ: 1 2