第16回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み『HICARU』

『HICARU』

渋川宙(しぶかわ・そら)31歳
1985年生まれ。龍谷大学法学部法律学科卒業。


「国会の答弁を人工知能にやらせるってよ。ついにそんな時代が来たかって感じだな」
 飲み会の席でいきなりそんなことを言うのは、顔馴染の研究者だ。いや、顔馴染という穏当な言葉ではなく腐れ縁というのが正しいのかもしれない。何はともあれ、同い年で人工知能の研究をする、梅宮健瑠という活発な男である。非常に情熱的な奴で、様々なことに一直線な男だ。そんな奴だから国会の答弁に人工知能が使われるというのは気になる話題だろう。が、そんなもの正月から話題にしてほしくない。そう、今は一月の二日。まだまだゆっくりとしたいところだ。本来ならばこいつとの飲み会だって断りたいくらいである。しかし、誘われたこちらは独り身で暇を持て余していた。仕方なく、正月からこうして男二人の新年会を開催するに至っている。
「他の話題を振れよ」
 その聞き役である研究者、時任瑛佑は当然のように突っ込んだ。するとお前はこれの重大さが解らないのかと絡まれてしまう。健瑠と違って文学青年のような見た目の英祐は、その見た目そのままにインドア派だ。こんな暑苦しい奴とは、大学が同じということがなければ絶対に知り合っていない。
しかし、学部生の頃から数えて早十七年。三十五になった今でもこうして正月から飲んでいる仲だった。何がどう上手く行っているのか、瑛佑にとっては物理の難題以上に不可解であるが、健瑠は瑛佑をいつも誘ってくる。
で、さらりと学部生時代からというが、実は所属していた学部は異なる。だから瑛佑は人工知能について一切関わっていない。それどころか、宇宙の深遠な謎を解き明かそうと奮闘する物理学者なのだ。要するに、健瑠は工学部出身だが瑛佑は理学部出身。ここからして話題に無理がある。そして現在も、それぞれの学部で助教をしていると、交わる要素もない。
「いや、だって俺は物理学者であって」
 英祐は絡んでも無駄だと訴えたが、火に油を注いだだけだった。真剣に受け止めていないと思ったのだろう。健瑠の口調はより一層熱くなる。酔っているのでいつも以上に暑苦しい。大声での解説が開始される。
「解らないか。もし人工知能が予測しない答えを出したらどうする。そりゃあ国会の答弁に使う内容だから、多くの人がチェックするだろう。しかし、これを機にどこにでも導入できることを示すことになるんだぞ。重要なものを人工知能に任せる危険性を何も考慮していない。もしシンギュラリティが起こったらどうする」
 襟元を掴まれて思い切り頭を揺さぶられて訴えられても話が入ってこない。しかも酒に酔っているのだ。悪酔いの原因になる。正月から大惨事に見舞われることは、もちろん瑛佑は避けたいが店としても望まないところだろう。
「やめっ、吐く」
 これ以上揺するなと健瑠の手を叩いて訴えたら、ようやく解放された。しかし今度は由々しき事態だと健瑠は唸り始める。まったく迷惑な酔客だ。周りの客が時折、冷たい視線を投げかけてくる。が、健瑠には通用しない空気感だった。
「シンギュラリティねえ。あり得るのか。そこまで高度に発達する可能性ってさ」
 仕方なしに話に付き合うことにした英祐は基本的なところから訊ねることにした。シンギュラリティとは、人工知能においては技術的特異点のことだ。人工知能が高度に発達することで人間の能力を追い越し、人間を遥かに超える技術を作り出すというものである。しかし、そんな話はSFじみていて信用できない。コンピュータは所詮コンピュータ。計算機以上の能力を持ち得るのだろうか。それにかの有名な物理学者、ホーキング博士は人工知能そのものに対して否定的だ。するとこれだから物理学者は呑気なんだと非難されてしまう。
「呑気で悪かったな。自分の頭で計算することが多いもんでね」
 本当はスパコンを頼ることもあるが、悔しいのでコンピュータなんて関係ないという態度を取ることにした。それに物理学者あってのコンピュータだ。インターネットの普及に一役買ったワールドワイドウェブは、世界規模で研究するのに必要だった素粒子学者によって生み出されているのである。そこのところを忘れてもらいたくない。
「相変わらず紙に数式を書いているもんな。その忍耐力には恐れ入るよ。しかし現実はどんどん先に進んでいるんだ。人工知能が碁で人間に勝てる時代なんだぞ。こんなに早く実現するなんて誰が思っていた。急速な発展はどこかで、危険な部分が出てくるだろうな。問題点を軽んじているところがある。まあ、機械が自己増殖するというのはSFでしかないだろう。コンピュータが自己の複製を考えるというのは難しい発想だ。しかし技術力が人を超えることはあり得る」
「へえ」
 こういう最先端の研究をしている奴には珍しい懸念だ。普通は大丈夫だと無責任に思い込みがちだ。それだけに、酔いも醒めてはっきりと記憶に残ることになった。
「まあ、そうならないように研究していくのが俺たちだけどな。にしても、国会答弁くらい人間がやれっていうの。それは効率化ではないだろ。ただの怠慢だ」
 なあと、散々語った健瑠は満足そうに日本酒を煽った。そこからまた普通に飲み始めるのだから困ったものである。こちらのもやもやとした気分はどうなるのか。
「人工知能ねえ」
 どうでもいいとは言えないが、どうにも実感のない話だ。しかしこの正月の何気ない話を痛感させる事態が身近に起きようとは、この時は一ミリも感じられないでいた。

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