第16回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み『学術情報部の悩み相談テーブル』

『学術情報部の悩み相談テーブル』

細霧伝(ほそぎり・でん)31歳
1986年生まれ。大学卒・団体職員。


1 プロローグ ~入職式~

 桜舞い散る中、大学の門をくぐり目的地までの道を歩く。
 これまで数えるほどしか来たことがないため、この道が正しいという自信はない。広大な敷地には欧州の街並みのような建物が広がっており、中心には大きな泉がある。
 卒業旅行で行ったイギリスの田舎にこんなところがあったな、などと思う。前に来た時は面接への緊張からそのような感想を抱く余裕すらなかった。数えてみるとここに来るのはまだこれで四回目だ。
 今日は四月一日。
 新入生が来るにはまだ早い時期。僕こと霧島白兎は新入職員として、入職式が行われる大講堂へ向かっていた。
 手に持った漆黒のカバンは、まだ持ち慣れず歩いていると太ももに当たってしまう。就職祝いにと良質の物を両親からもらったが、正直僕のほうが釣り合ってないと思う。今はまだ傷一つないが、使っていくうちに色があせしわができ、きっと味のあるものになっていくだろう。
 私立大学へ職員として就職。
 これは同級生の中では珍しく、周りから羨まれる進路であった。
 私大職員はマターリ高給などとネット上には書かれているが、それを信じるほど呑気ではない。それでも通っていた大学の職員が五時を過ぎると帰り出し、夜の八時には事務室が真っ暗になっていたのを見ていると、世間で騒がれている残業過多の問題とは縁のない世界だと期待してしまう。
 少子化による学生減少で将来の不安は多少あるが、今日から働く紫洗大学は各学科の入試倍率五倍以上、偏差値六十以上の人気大学であり、日本の大学が四分の一になったとしても生き残っていられるだろう。もちろん人気に胡坐を書いていればそんな余裕はなくなるのかもしれないので、職員として人気を維持向上していく努力は必要だ。
 紫洗大学の魅力は数多くある。異国に入ったかのような気分を楽しめるこの第一キャンパスは人気の最大の要因であろう。総合大学であり学部は数多く存在するが、共通教養科目の講義はすべてこの第一キャンパスで受けるため、生徒全員がこのキャンパスに来ることになる。つまりどの学科に入ろうと漏れなく異国風の生活を満喫できるのである。
 私立総合大学の中でも学科が多いのも魅力だ。
 文学部、法学部、経済学部、理学部、工学部、教育学部、国際学部など一般的な学部はひとしきり揃っている。さらに神学部、図書館学部など珍しい学部や、医学部、薬学部、看護学部など医療系の学部まで充実しており、これらは倍率が非常に高い。特に医学部は毎年偏差値七十を超える高倍率であり、僕などが背伸びどころかトランポリンで飛び上がっても届くレベルではない。
 医療の学部がある以上当然のように大学病院が存在するが、これは働く身としては不安な部署である。救急病院であるため二十四時間三百六十五日働いている人がいるところであり、詳しくは知らないが職場環境は厳しいのではないかと思う。もっとも病院と大学は採用枠が別のため特別な人材交流でもない限り病院で働くことはない、と説明は受けていた。その特別に指名されないよう、目立たず無難に仕事をしていきたい。
 歩いていくとキャンパス中央には大きな泉があり、それを囲むように高くとも三階程度の西洋風の建物が連なっている。どこぞの景観条例が適用された地区のようである。
 味のある建物を見渡しながら、すごいところに就職することになったものだと実感した。
 百倍ともいわれる倍率を突破したはずなのだが、なぜ自分が採用されたのか全く分からない。学歴は上位の国立大学卒業ではあるが、旧帝大ではなく高学歴とは言いづらい。公務員試験を並行して受けていたため筆記はほぼ満点だった自信があるが、面接では手ごたえの有無を覚えていられないほど緊張してしまい、帰宅後一時間ほどベッドに突っ伏し、失恋した後の心の整理のような行動をとってしまった。よし切り替えてほかに挑もう、とようやく思えた直後、合格の電話をもらったのである。
 入職前に内定式と懇親会が開かれ、三十人ほどの同期と数人の先輩職員と顔を合わせたが、皆同じようになぜ自分がと感じていたようだ。共通点をあえて見つけるならば、大人しめの人ばかりだったということくらいである。確かに母校にも派手な職員はいなかった。地味というのは大学職員の必須要件なのかもしれない。
 入り口で見たキャンパスマップによると、もう少し歩けば入職式の会場に着く。前を見ると同期入職の人たちが歩いているのも見えた。速足で追いつき、おはよう、久しぶり、今日からよろしく、など月並みな言葉を掛け合う。
 そうして大講堂に到着すると、懇親会を主催していた人事部所属の先輩職員が入り口横に立っていた。
「霧島白兎です。よろしくお願いします」
 第一印象が悪くないようにと、少しキーを上げた声で受付を済ませた。
 案内された席に着き、少しの緊張と大きな浮かれ気分を同期と共有しながら、入職式の開始を待つことになった。
 
「おはようございます。新入職員の皆さん、まずは全教職員を代表して皆さんの入職を心から歓迎いたします」
 学長の挨拶が始まった。大講堂で行われる入職式は学長挨拶と配属先の発表のみであり、一時間とかからない予定だ。それ以降は講義室に移動し、新人研修を受けることになる。新人研修は二週間、朝から定時の十七時までみっちりとスケジュールが組まれ、その後は配属先に移動し独自の研修や業務が開始される。
 学長挨拶では大学の特色や経営状況、世間の教育事情の変化などが長々と述べられていく。学生時代に聞いていたら眠かったのであろうが、ここで働くという意識からか睡魔に襲われることはなかった。
「それでは最後に、皆様の配属先を発表させていただきます。各自名前を呼ばれたら返事をしてください。その際に起立していただく必要はございません。返事をいただいた後、配属先を発表させていただきます」
 そうして各自の名前が席順に呼ばれ、その後配属先が告げられていく。席順は職員番号順であり、名前の順ではない。おそらく入職試験時の受験番号の順に職員番号が振られているのだろう。間違っても職員の試験順位ではあってほしくない。なぜなら僕の職員番号は、同期の中でほぼ最後なのだから。
「波多野裕子さん」
「はい!」
「第一キャンパス事務部学生課」
 懇親会で席が近くよく話をした波多野さんの名前が呼ばれ、最も人気の部署が告げられる。どよめくことはないが、皆がうらやましそうな視線を送っている。
 学生課、それも紫洗大学最大の魅力である第一キャンパスの学生課といえば、一番人気の部署である。僕もそこに行きたいと思っていたが、彼女に取られてしまった。
 その後も様々な部署が告げられていく。
 財務部。普段何をやるのかわからないが、細かい計算などをするのだろうか。簿記の資格を取る必要があるのだろうか。もしかすると配属した彼は簿記を取得済みかもしれない。
 人事部採用課。入職試験などの段取りをするのだろうか。面接官は偉い人ばかりだったので、この部署の人が面接官と言うわけではなさそうだ。色々な大学を回り広報活動をするのかもしれない。
 人事部研修課。これから受ける研修などを企画するのだろう。入ったばかりで研修を行う側になるのは、なかなか大変そうである。
 第三キャンパス事務部学生課。確かこのキャンパスは国際学部がメインだったはずだ。呼ばれた男子が青ざめている。彼は英語ができないのかもしれない。僕も筆記はできても英会話などほとんどできないため、生贄になってもらった気分だ。
 そしてようやく僕の番が来る。どこになるのだろう。組織構成の詳細はこれからの研修で説明を受けるはずであり、今の時点では一部の部署しか知らない。それでもどこに配属になるのか、今日が来る前から期待と不安を抱いていた。
「霧島白兎さん」
「はい!」
 僕は緊張しながらも、声が通るよう意識して返事をする。
 さあ来い。
「学術情報部OA課」
 ……はい?
 心の中で思わず疑問符を浮かべてしまった。もし配属先発表の後返事を返す必要があったならば、すっとんきょうな声を上げていただろう。
 学術情報部。おそらく情報システムを担当する部署である。
 待ってほしい。学生時代の僕の専攻は法学。情報学どころか理工学ですらない。そもそも同期は文系だけであり、技術部門に割り当てられるなど想像すらしなかった。これは、もしかして一番のババを引いたのではないか。
「皆さんはこれから新入職員研修をみっちり受けることになります。その際毎日朝から夕方まで集中し続けるのはきつく、集中力にもメリハリをつける必要があります。そこで研修中に自身の部署に関わる内容は特に集中して聞いてほしく、このタイミングで配属先を告げております。まずはこれからの研修を頑張っていただき、一日でも早く本校の戦力になっていただけることを期待して、挨拶を終えさせていただきます」
 学長が壇上から降りていく。その光景が心なしか暗くなった気がする。
 ああこれからどうしよう。履歴書に書くため簡単なパソコン関係の資格をいくつか取ったが、システム部門として働けるほどの能力はない。
 
 これが大学職員生活の始まり。
 僕はまだ知らない。
 そこが学内でも特に奇妙な部署であり、奇妙な人が寄ってきて、奇妙な事件に巻き込まれていくことを。

つづく

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