- 茶木則雄
- 新機軸とも言うべき《リーガル・ハードボイルド》の誕生を、大いに寿ぎたい
- これまで選考会が揉めたことはいくらでもあったが、これほど紛糾したのは初めてではないか。結論を導き出すまでに要した時間は、おそらく歴代最長だろう。
- 最大の要因は、候補作にそれぞれ一長一短があり、いずれも決め手に欠けていたことだ。加えて、選考委員の推す作品がばらばらで、2名以上から高い評価を得る作品がなかった。たとえ支持が重なっても、2人のうち1人は消極的推挙に留まり、残りの2人は強烈な否定派に回る、とった具合で、落としどころが見つからなかったのである。
- 出口が見えないときは、原点に立ち返るしかない。減点法ではなく加点法を旨とし、たとえ瑕があっても大いなる可能性を秘めた《原石》を掬い出そう、というのが『このミス』大賞創設の目的である。だとすれば、一番、将来性を感じさせる作品を選ぶのが道理だろう。
- 私の見るところ、磨けば光る原石の魅力を最も感じさせてくれたのは、現役弁護士の手による『エンジェルズ・シェア』であった。
- 瑕は少なくない。1次選考で古山委員が評しているように、今や絶滅危惧種とも言える私立探偵小説のスタイルを頑なに踏襲し、これでもかとワイズクラックを散りばめたこの作品の結構に、なるほど斬新性はない。吉野委員が指摘する通り、事件の背景にアクチュアリティを感じるかと問われれば、否と答える他ないだろう。大森委員が苦言を呈する、犯人の独白によるラストの解決シーンは、要改稿の一番手だ。一人称の「私」文体は堂に入っており、思わずにやりとするワイズクラックもあるが、スベって“痛い”減らず口も少なくない。香山委員同様、読みながら閉口することもしばしばだった。ハードボイルド・ファンであっても、今どき流行らない古典芸能の様式美をあえて追求する稚気を買うかどうかは(たとえそれがパロディであっても)、人それぞれだろう。
- しかしそれでも、この作品の根底には、瑕をものともしない強靭な意志がある。それを感じさせてくれたのは、弁護士の「私」が懲戒処分を受けるに至った過去の回想部分だ。現役弁護士の強みを存分に生かした、法曹関係の圧倒的ディテールと迫真性は、第一級のリアリティを構築してさすがと言わざるを得ない。それよりも何よりも、刑事事件における司法と検察、弁護の馴れ合いを糾弾する作者の筆致が、実に素晴らしい。筆は活き活きと躍動し、お得意のワイズクラックも、ここはぴたりと決まっている。
- 海堂尊がAiの必要性を物語に仮託したように、おそらく作者は、法曹界の抱える今日的問題を俎上に載せるため、この小説を書いたのだろう。そう思わせるだけの意気込みが、行間から如実に伝わってくる。書きたいテーマを持ち、それを書かずにはいられないという作者の気概が、瑕だらけの原石の隙間から、仄見える。
- 磨けば光る――と、確信した次第だ。新機軸とも言うべき《リーガル・ハードボイルド》の誕生を、大いに寿ぎたい。
- 優秀賞を受賞した『僕がお父さんを訴えた理由』は、減点法でいけば最も瑕の少ない作品だった。内包するテーマは手垢のついたものだが、それを物語のクライマックスまで巧みに隠し通したプロットが見事。なるほど、こうくるのか、という新鮮な展開にページを繰る手が止まらなかった。導入部のぎこちなさと、クライマックスからラストにかけての処理の仕方に問題を感じたが、これは充分、改稿可能だろう。容易に類似作品を想起させないオリジナリティが、この作品の最大の強味だ。
- 逆に、容易に既存作家の影響を指摘されそうなのが『空と大地と陽気な死体』だ。良くも悪くも乙一や伊坂幸太郎、東野圭吾や道尾秀介の寄せ集めで、書き手の独創性が感じられなかった。筆力はある。既存作家の殻を、ぜひ打ち破っていただきたい。
- 東京タワーを舞台にした老人版「ダイ・ハード」の『鋼鉄の密林』は、一言で言えば直し甲斐のある作品だ。文章、プロット、ディテール、ほぼ全てに大幅なブラッシュ・アップが必要だろう。大胆な着想とアクティブな展開は評価できても、如何せん、直しに時間がかかりすぎる。新作を一から書いた方が早い、というのが私の率直な感想だ。
- 残念ながら賞は逸したが、『Sのための覚え書き かごめ荘事件のこと』と『また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』は、個人的には出版レベルに達していると感じた。前者の導入部の仕掛けには、久しぶりに「およよ」とのけぞり、作者の《語り=騙り》のテクニックに感嘆したものだ。後者はキャラクター造形と会話が魅力的で、恋愛模様を巧みに絡めたストーリーは終始、心地よく読めた。が、他の選考委員のミステリー的に弱いという意見も頷けるので、強く推すことを躊躇った次第だ。両者ともいずれ、世に出る才能だと思う。気を落とさず精進していただきたい。