第14回『このミス』大賞 1次選考通過作品 立ち読み 『神の値段』

『神の値段』

一色さゆり(いっしき・さゆり)26歳
1988年生まれ。
2012年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。
ギャラリー勤務を経て、現在主婦。


 パソコンの画面から顔をあげると、中国語で会話をしていた男女二人組のうち、男の方がガムを噛(か)むような訛(なま)りの英語で話しかけてきた。
「ムメイ・カワタの作品はありますか?」
 私は笑顔をつくって席から立ち上がった。男は格安量販店で叩き売りされていそうな灰色のポロシャツとパーカにジーンズという野暮ったい服装だったが、対照的に女は煌(きら)びやかで、胸元を飾っているパンダをモチーフにしたペンダントは無数のダイヤモンドが眩(まぶ)しい。健康的に締まった体つきを見せびらかす、ぴったりとした黒いシンプルなワンピースはグッチあたりか。
「はい、川田無名はうちの所属です」
 カウンター越しに私が答えると、女は男に向かって中国語でなにかを言い、私と目を合わせてにっこりした。そのほほえみは感じも品も良く、薄化粧で肌艶のよい彼女の美顔を一層ひきたてていた。男はさしずめ女に雇われたアテンダントかドライバーだろうか。
「彼の作品を買いたいんですが、リストを見せてもらえませんか?」
 おそらく女が言ったことを男が英語で訊(たず)ねる。
「少々お待ちください」
 私は笑顔を返しながら、デスク脇に置いてある自分の名刺を二枚抜きとり、カウンターからスペースの方に出て行く。
「ご質問ありがとうございます。まず自己紹介させてください。私はサワコと申します」と言って名刺を二人に渡す。最初に名刺を渡すのは、向こうがこちらに質問をするという流れをいったん断ち切るためである。無名のような人気作家の作品について質問してくるお客は玉石混淆(こんこう)なので、売る側も慎重に買う側をえらぶ必要がある。だからまずは、こちらが向こうに質問をするという流れを作り出さなければならない。
「どういった作品をお探しですか?」
「墨で描かれた抽象のシリーズです。だいたいこのくらいのサイズで」
 と言って、男が手で示したのは、約半メートルほどだった。
「申し訳ありませんが、最近の無名はそのくらいのサイズの作品は制作しておりません。一番多いのは一メートル半ほどの大きなサイズです。ご存知のように無名は体調が芳しくなく、余命もわずかと宣告されておりますので、今は小作ではなく大作に集中したいのです。無名の作品はすでにお持ちですか?」
「ええ、いくつかは持っています」
「オークションからですか?」
 訊ねると男が女に向かって、再び中国語で話しはじめる。私が言った内容を、女に中国語で伝えているのだろう。二人の柔らかく控えめなイントネーションから、台湾人だろうかと推測する。中国本土からのお客は速くて抑揚のつよい中国語を話すし、おおよそ英語はしゃべらず日本語通訳を雇っていて、わざわざ東京に来る数も少ない。香港からのお客は多いけれども、たいてい外資系の金融などでバリバリ働いているか、欧米で教育を受けているので流暢(りゅうちょう)な英語を早口でしゃべる。
「いくつかはそうですが、友人から買ったこともあります。中華系コレクターのネットワークは幅広く確実なので」
 私はほほえみながら、慎重にならなければならないと思う。彼の言うとおり中華系コレクターのネットワークは魅力的ではあるが、コレクター仲間から買うということは、コレクター仲間に売るかもしれない。
「別のギャラリーからも買ったことがあります」
「セカンダリー・ギャラリーということですね」
 ぴんときていなさそうな二人の表情を見て、補足を加える。
「アートにはふたつのマーケットがあります。ひとつは現存する作家から新作を直接預かって売るプライマリー・マーケットで、もうひとつは二次であれ三次であれ、作品を転売するマーケットです。私たちは無名から直接作品を委託されている、世界で唯一のプライマリー・ギャラリーです。ニューヨークにも提携ギャラリーはありますが、彼らが売っている作品もすべて、うちのギャラリーがコントロールして委託しています」
 プライマリーは作家の代理として、作品を預かって売る独占権を持つ。作家と一心同体になり、作品を発表する場を提供したり、買い手を発掘したり、上手な売り出し方を考える。作品が売れれば、作家から手数料をとって利益を得る。仕入れ値を支払う相手は、作家本人である。一方で、セカンダリーは作品を別のコレクターや画廊から仕入れて転売するので、仕入れ値は作家には支払われない。骨董(こっとう)品やオールドマスターの市場がそれに当たるが、現存作家の作品を扱いながら、作家と直接仕事をしない場合もある。男は中国語で今の内容を熱心に伝えているようで、女は相槌(あいづち)も打たずに聞いていたが、さいごに質問を投げかけてくる。

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