第13回『このミス』大賞 1次選考通過作品 立ち読み 『旅の記憶』

『旅の記憶』

冴木みえい(さえき・みえい)21歳
1992年生まれ。中央大学文学部中退。
現在は信州大学人文学部在籍。


   1 工房――一八八二年

 静かな午後。
 連日の雨があがったその日は、すっかり夏など忘れたように肌寒かった。
 時折吹き抜ける風が冷たい。まだ真夏のような格好をしていた私は、体を少し強ばらせながら、川沿いの下り道を自転車で走っていった。
 だらだらと下る坂の下に、商店街がある。通称「牛つなぎ石商店街」。なんとまあふざけた名前だろうかと思ってしまうが、これにはそれなりの由来があるらしい。商店街の中の交差点の片隅に、牛つなぎ石という石がある。なんでも、昔、上杉謙信が武田信玄に塩を送るとき、塩を運ぶ牛をその石につないだとかいう謂れがあるそうだが、私にはただのどでかい石ころにしか見えない。
信州の山に囲まれたこの城下町で、古くから存在するその商店街は、観光客の出入りも激しく、単なる田舎の商店街とは違って垢抜けた雰囲気に満ちている。そうかといって、観光客用の土産物屋だらけの商店街ではなく、酒屋やパン屋やスポーツ用品店などが並び、地域に根ざしている。商店街全体はずいぶんきれいに整備されてはいるものの、商店の一つ一つは昔の名残で、間口が狭く奥行きのある造りになっている。いわゆる鰻の寝床というやつだ。
平日の昼間にもかかわらず、人通りは多い。近所の親子連れや、観光客と思しき団体を追い越して、私は目当ての店の前で自転車を降りた。
 その店は、商店街の中の三つ目の角に建っていた。白い壁に、緑の両開きのドア。通りに面して大きな窓がはめ込まれた、三階建ての洋風の建物。ドアの周辺にはポストや小さな花々が並び、道沿いに立っている看板には「旅の記憶」の文字が書いてあった。名前だけでは何の店なのかよくわからないが、店名からすると、ここに間違いなさそうだ。
 ドアを開けると、ドアベルが心地よい音色を響かせた。
店の中に入ると、しんと静寂が広がっていた。
薄暗い店内は、雰囲気のある古めかしいシャンデリアがほのかな光を放っている。
この店も商店街の他の店と同じく、間口の幅に比べて奥に長い建物だった。
店に入ってまず目に飛び込んできたのは、古めかしい雑貨の数々だった。テーブルの上に、スタンドやポットやティーカップが並んでいる。棚には女性客にウケそうなアクセサリーがたくさん。奥の壁にはこれまた古めかしい掛け時計や置き時計がいくつか並んでいた。
窓のひとつはステンドグラスになっていて、薄い日差しを通して床に光を落としている。
不思議な店。
この場所だけ、他とは違う時間が流れているようだった。すっぽりと異世界に入り込んだような気分だ。
美しい品物を眺めながら、私はふと疑問を覚えた。
本当にこの店で間違いはないのだろうか? 店の名前は間違っていないはずだが、母から聞いていた店の様子からはかけ離れている。正直なところ、こんなにまともな感じの店だなんて思っていなかった。だって、この店のオーナーは――。
「いらっしゃいませ」
店の奥で物静かな声がした。
 店内を半分ほど進んだところに、左側の壁に沿うようにして木目調のカウンターがあった。そのカウンターの向こうに、背の高い一人の青年が立っていた。柄の入ったお皿を磨いている。ここで働いている人だろうか。知らない顔だった。私が前にこの店に来たのは十年以上も前のことだから、すっかり様子が変わっているようだ。
 私は用件を言うべくカウンターに向かった。
「あのー……ちょっといいですか?」
「はい」
 青年はお皿を磨く手を止めて、人懐こそうな笑顔を向けた。
「あのー……ここのオーナーは、倉本さんで間違いありませんか?」
「はい。今は留守にしていますけど」
 青年の即答に、私は驚いて固まった。
「……本当に倉本冴子で間違いないんですか?」
「ええ」
「あの人が……こんなにまともな感じの店をやっているんですか?」
 思わず素直な感想が口をついて出た。
青年が少し怪訝そうに私を見る。
いかん! 明らかに怪しまれている……。
私は当初の用件を思い出して慌てて言った。
「あの……私、ここのオーナーの姪で……」
「え、オーナーの姪御さんですか?」
「はい。岡崎理紗といいます」
 すると青年は、思い出したというように、ああ、と頷(うなず)いた。
「話はオーナーから聞いてます。なるほど……。あなたが例の時計破壊魔ですか……」
例の時計破壊魔……? どの時計破壊魔だ?
 彼の言葉の最後の方は、呟きのように小さかった。だが、私の耳には確かに聞こえた。
 嫌な予感がする。
 叔母は一体どんなふうに、私のことを彼に話したのだろう。

ページ: 1 2 3