第13回『このミス』大賞 1次選考通過作品 立ち読み 『夢のトビラは泉の中に』

『夢のトビラは泉の中に』

辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)21歳
1992年生まれ。神奈川県出身。
幼少期を水戸、中学時代を米国で過ごした後、神奈川県立湘南
高等学校を卒業。現在、東京大学法学部の4年生。


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 意識が戻ったとき、上条梨乃はどこか硬い地面の上に倒れていた。頭はぼんやりしている。目は瞑ったままだが、辺りがまだ薄暗いことと、遠くから通りを行く人の声が聞こえてくるのは分かった。うつ伏せになった顔には、何か柔らかいものが当たっている。
 安らかで心地よい眠りの余韻は、全身に走る鈍い痛みと強烈な腐臭によって遮られた。思わず目を見開いて飛び起きると、視界に飛び込んできたのは無造作に積み上げられた白い大きなビニール袋の山と、灰色のコンクリート壁の上ではがれかけている貼り紙だった。霞む視界の中に、居住者以外の方はゴミを置かないでください、という文字が見て取れる。
 視線を手前に移すと、目の前の白いゴミ袋は梨乃の頭の形でひしゃげており、半ば開いた口から黒ずんだバナナの皮や腐りかけたキャベツの芯が見え隠れしていた。鼻が潰れるような臭いはここから漂っていたことにようやく気づき、梨乃はふらつきながら立ち上がった。
 辺りを見回すと、居酒屋やラブホテルの看板がいくつか目に留まった。中には怪しげな外見の店も少なからずある。梨乃が倒れていたゴミ捨て場は、この裏通りの隅にある古びたビルのものであるようだった。ビルといっても、一階は食料品店になっており、二階以降に人が住めるようになっている。汚い外見のビルだったが、これだけゴミが積んであるところを見ると、居住者は複数いるのだろう。治安の悪そうな裏通りではあるが、大都会に住めるという理由だけでこんなところに住む人々がいるのだろうか。
 後方に複数の人の足音が聞こえた。思わず振り向くと、居酒屋から今出てきたらしい、若い酔っぱらい集団と目が合った。そのうちの一人が梨乃の身体を舐め回すように眺め、最後に顔を見てニヤッと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
 そのとき初めて、梨乃は自分がサングラスをかけていなければ帽子もかぶっていないことに気がついた。手でぱっと顔を覆い、指の隙間から慌てて地面を見回したが、外に出るときは常に身につけているはずの大きめの黒いサングラスは見あたらない。いつもは頭の上の方で束ね、その上からハットをかぶって隠している艶のある長い黒髪は、今はところどころ乱れた状態で顔の両脇に垂れていた。両手首を見てみたが、髪ゴムさえ見あたらない。着ている白いワンピースは梨乃自身の私物だったが、この服に着替えた覚えは全くなかった。そもそも、何故自分がこんな大都会の危険な裏通りに倒れていたのかということ自体、全く見当がつかなかった。
 ――こんな姿を誰かに見られたら。
 急に鼓動が速くなり始め、思わず胸を押さえた。
 ――私……泥酔して倒れていたの?
 そんなはずはなかった。元々梨乃は喉に負担をかけないように、ほとんど酒類は飲まないようにしている。そもそも、やっと未成年の域を出たばかりの梨乃を飲みに連れ出すような知り合いもいない。だが今の梨乃の状態では、誰の目から見ても、深夜まで飲み歩き、泥酔して道端で倒れていたようにしか見えなかった。しかも周りには、梨乃が今まで近づいたことさえなかったラブホテルも数軒ある。そういう道のカメラマンには格好の場所だ。あまりに無防備で、あまりに危険な状態で――一体、何時間倒れていたのだろうか。
 今の時刻が知りたかったが、持ち歩いているはずのバッグも辺りには落ちていず、携帯がないために時刻を確認することはできなかった。少し涼しい風の感触と、白んでいる空の感じからして朝方であることは確実だったが、四時なのか五時なのか、それとも六時なのかといった細かい時間は全く分からなかった。

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