第18回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 故漂 鳥取藩元禄竹島一件

『故漂 鳥取藩元禄竹島一件』

あだちえつろう(あだち・えつろう)72歳
1947年生まれ。広島大学大学院(修士)修了後、大学教員を経て、現在嘱託講師。


    壱の章 

  1

 白帆がするすると上がり、船は中海に滑り出した。
 中海は内海なので浪は静かで、帆は穏やかな風を孕んだ。見送りにきた船乗りの家族の姿が次第に小さくなっていく。家族の姿が見えなくなると、黒兵衛は腕を組み、きりりと唇をかんだ。船頭の力量を試される、そんな危険な航海になりそうな気がした。
 元禄五年(一六九二)二月十一日。伯耆国米子の村川船は、はるか遠くの磯竹島に向かって出帆した。船は二百石積の帆船である。日本海を渡り切っていくのに十分な大きさの船とは言い難かった。磯竹島までは、あらく目算しても百六十里はある。天候の荒れる日の航海の危険もあった。危険を押してでも磯竹島に渡るのは、それに見合うだけのものが島にはあったからだ。 
 村川船は、対岸の弓ヶ浜の陸地を見ながら、中海を渡り、東に向きを変えて境海峡に入っていく。境海峡は出雲国と伯耆国の国境の海峡である。島根半島に沿うように流れている。境海峡を通り抜けて、夕刻には島根半島の突端、美保関の湊に入った。翌日、美保関を出港した村川船は、日本海に浮かぶ隠岐島に渡った。隠岐島は美保関から十八里、海に浮かぶ孤島である。
 村川船は島の北端福浦という湊に入った。福浦にはしばらく滞在し、新たに水夫数人を雇い入れて乗組員は二十一人となった。隠岐には経験豊富な漁師が多く、磯竹島の漁には欠かせない補充だった。
 福浦を発ったのは三月二十四日。船頭黒兵衛の熟達した操舵術によって日本海を真っ直ぐに乗り切り、二十七日の早朝、磯竹島に近づいていった。磯竹島は周囲七里半の大きな島である。島の中央は高い山と密林に覆われていた。崖も険しかったが、漁師たちは長年かけて船を着岸できる入江を何カ所かひらいていた。島全体に漁場が広がっていたので、着岸できる入江は何カ所も必要であった。
 村川船は帆を半分下ろして減速し、桟橋の掛けてある南側の浜田浦に近づいていった。黒兵衛の表情が強ばった。浦の様子がどこか、おかしい。いつもと全く違って見えた。不穏な空気のようなものが漂っている。黒兵衛は身構えて目を凝らして周囲を伺った。乗組員の中にも異変を感じ始める者もいた。
「落ち着け。人がいないか、上陸して浜をくわしく調べえだぞ」
 船頭黒兵衛は、乗組員に大声で指示を出した。男たちは帆を下ろして左右の舷に六本の櫂を取り付けて漕ぎだした。島に近づいて漁師たちは眼をこらした。確かに浜辺では異変が起こっていた。浜辺には鮑を剥いた後の貝殻が散乱していた。何艘もの小舟を乗り上げた跡があった。
 一行は浜田浦に上陸して番小屋に入っていった。積んであった漁具がなくて、何者か寝泊まりしていた痕跡があった。鍋、釜を利用した炊飯の跡もあった。男たちに動揺が広がった。
「島に間違えて入り込んだ者が、おったんだろう。そんで、わしらの船が近づいたので、出て行ったんじゃ」
黒兵衛はそう言って、男たちの動揺を抑えようと平静を装った。
「大勢、おったんじゃあ、ないですかの」
「どこかに、隠れておって、襲ってくるこたあ、ないですかの」
「これじゃあ、きょうてて、漁どころじゃないですけん」
 口々に不安を口にする。「きょうて」は怖くてという意味の方言である。小屋の中の荒れ方は大勢の侵入者の狼藉を物語っていた。
「そうじゃな、わしらの船が近づいたことを知って、どこぞに隠れておるやもしれんな。小屋の前に武器をあつめておけ」
 黒兵衛に言われて男たちは船に戻って、海驢撃ちの鉄砲や、魚突きのヤス、樹木伐採用の鉈、草刈り鎌などを手にして、小屋の内と外に分かれて急襲に備えた。鉄砲のあることが心強かった。海驢を獲るための鉄砲八挺を積んでいた。海驢とはアシカのことである。海岸の岩場に生息していて、それを撃つために特殊に加工された強力な銃であった。
 磯竹島漁は主として鮑と海驢である。鮑は巨大で味が良く串鮑に加工して幕府への献上物として珍重された。海驢は鉄砲で撃ち殺し皮と油を採集した。油は燈火として広く用いられた。
 小半時も経った頃には、小屋の周辺は落ち着きをとりもどした。小屋の近くには人の気配がなく、黒兵衛は安堵の表情をみせた。侵入者は辺りに隠れているかもしれなかったが、彼等がふいに襲ってきても応戦できるだけの武器を手にしたからだ。黒兵衛は魚突きのヤスを握って浜の周囲に目を凝らした。

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