第15回『このミス』大賞 最終選考選評

大森望

前代未聞、史上最高の医学トリック! 医療本格ミステリーの傑作誕生

 医療ミステリーは数あれど、医学的知見と、本格ミステリー的な“驚愕の大トリック”とがダイレクトに結びついた、ほんとうの意味での“医学トリック”はめったにない。その意味で、岩木一麻『救済のネオプラズム』は、史上最高レベルの医療本格ミステリー。この謎がちゃんと解けたら大賞確実なんだけどなあ……と思いながら読んでたら、ほんとにちゃんと解けたので仰天しました。いろいろ足りないところはあるにしても、インパクトでは、この賞の大先輩、海堂尊『チーム・バチスタの栄光』に肉薄するレベル。いや、すばらしい。
 中心となる謎は二つ。がんで余命半年と宣言された低所得の患者が保険の生前給付金を受けとると、まるで魔法のように病巣が消えてしまう――4例たてつづけに起きた奇妙な連続「活人事件」の謎。もうひとつは、早期がんをすみやかに発見するばかりか、再発した場合も独自の治療法で完全寛解に導くと噂され、各界の有力者が通う病院の謎。
 本格ミステリー的に言えば、どちらも焦点は、〝不可能状況下でのがん消失事件〟。がんはなぜ消えるのか? 奇跡の治療法は実在するのか? こんなとんでもない謎を正面に掲げるとは、まさに前代未聞、大胆不敵。
 しかも、その鮮やかな謎解きは、素人でも直感的に理解できる。なるほど、そんな手があったのか! ストーリーテリングが弱いとか、議論ばかりで展開が地味だとか、キャラクターに華がないとか、もろもろの小説的な弱点は、この作品に関しては枝葉末節。これぞ本物の医学ミステリー。これを大賞に選ばなくてどうする!
 ……と勢い込んで選考会に臨んだところ、あっさり大賞に決まってしまったので、茶木則雄委員が、「最近、体調が悪くてさあ。来年ここにいられるかどうかもわからないんだよ。だから一生に一度のお願いだと思って聞いてほしいんだけど」と前置きして、『縁見屋の娘』にぜひ優秀賞を! と泣き落とし半分にゴリ押ししたときも、にっこり笑って同意したくらいである(“一生に一度”はもう使ってしまったので次はありませんよ!)。
 大森自身はこの作品にCをつけたが、それは、京の口入れ屋の日常を細やかに描く時代小説の枠組みと伝奇小説的なスペクタクルのとりあわせがこの賞(の大賞)向きじゃないと思ったからで、ストーリーテリング、キャラクター、文章力は申し分ない(『救済のネオプラズム』に欠けているものがぜんぶ揃っている)。したがって、優秀賞ということなら異論はありません。
 一方、『縁見屋の娘』が優秀賞なら、森岡伸介『クルス機関』も優秀賞にしないと公平性が保てないと主張したのが香山委員。実際、『クルス機関』は、選考委員4人全員がB+以上をつけるという、めったにない高評価だった。こちらの中身は、神奈川県警外事課の警部補(その二つ名が“クルス機関”)と北朝鮮の凄腕工作員を軸にしたスパイ警察小説。硬派一辺倒かと思いきや、強烈なキャラの女子高生が登場して転調したり、硬軟・緩急の使い分けもうまく、エンターテインメントとして上々の仕上がり。文庫向きだから“隠し玉”に……という説も出たが、評価の高さに鑑みて、優秀賞で決着した。『縁見屋の娘』と『クルス機関』、タイプが正反対の2作が優秀賞を分け合うというのも『このミス』大賞らしいかも。
 大森がもう1作、B+をつけたのが志駕晃『パスワード』。ベッキー騒動で有名になったスマホのセキュリティ問題をフックにして、恋人がうっかりタクシーにスマホを忘れたばかりにたいへんな目に遭う女性の話を連続殺人鬼と結びつける。語り口がライトなので、捜査側の描写が笑っちゃうほど雑だったりする(神奈川県警に刑事が二人しかいないみたいに見える)欠点も、そんなに気にならない。リベンジポルノとかフェイスブックのなりすましとかランサムウェアとか、この手のサスペンスに定番のネタをちりばめつつ、お約束のどんでん返しに持っていく手ぎわも達者。これこそ“隠し玉”の理想形じゃないかと思ったんですが、他の選考委員諸氏もほぼ同意見。というわけで、選考会の総意として“隠し玉”に認定させていただきました。
 惜しくも選に漏れた3作については簡単に。薗田幸朗『沙漠の薔薇』はクィネル『スナップ・ショット』にオマージュを捧げる国際謀略小説。IAEAの査察官を主役に持ってきたのは面白いが、お仕事小説的なディテールで読ませるような工夫がないとせっかくの設定が生きない。あと、女性主人公の独白パートの文章があまりに古くさいのも難。
 綾見洋介『小さいそれがたくさんいるところ』は、北海道の秘境駅と、廃村になった集落をめぐる過去の事件がからむサスペンス。メインの事件があまりぱっとしないのでミステリー的な牽引力が弱い。鉄道オタク小説のほうに思い切って舵を切ったら、ぐっと面白くなるかも。
 田内杏典『変死区域』は1962年のデトロイトを舞台にしたノワール。動機はユニークだが(伊藤計劃『虐殺器官』をちょっと思い出しました)、ゴッサム・シティとかならともかく、現実の都市を舞台にこの話を書くのはさすがに無理があるのでは。
 とまあ、今回も個性的な候補作が揃ったが、個人的には、『救済のネオプラズム』が頭ひとつ抜けていた印象。これが読めただけで満足です。

香山ニ三郎

まったく見当のつかない真相。謎の設定がとにかく素晴らしい

 最終候補作は七作。今年も予選で票が割れたかと選評をのぞいたら、案の定選考時間の最長記録を更新したとの由。やれやれと思いつつも、こちらは一作一作自分の目で確かめていくだけだ。例によって読んだ順から紹介していくと、三好昌子『縁見屋の娘』は時代もの。江戸・天明年間の京。口入屋・縁見屋の娘・お輪は店の娘は代々男児を生まず早死にするという噂に悩んでいた。そんなある日、店に愛宕屋の修験者が訪れ、主人の呉兵衛は彼に縁見屋縁の火伏地蔵堂の堂主を任せる。やがてその地蔵堂の天井裏から天狗の秘図面が発見され、縁見屋の娘に憑りついたものの正体が判明するが……。ミステリーというよりは伝奇仕掛けの人情サスペンス。度胆抜くような独創的アイデアが盛られているわけではないが、こなれた語りで読ませる。大賞にはインパクト不足だが、文庫でシリーズ化すれば売れ線に乗るかもということで、これは隠し玉候補。
 薗田幸朗『沙漠の薔薇』はイスラエルの女諜報員がイランの核燃料開発センターを監視している場面から始まる国際謀略もの。その施設では改革派政府に敵対するグループが密かに核兵器開発を進めていたが、そこへ日本人の千堂を始めとするIAEAの視察団が訪れる。『縁見屋の娘』と同様、こなれた語りで読ませるが、問題は中東の核開発をめぐる物語演出が旧来のそれから少しも出ていないこと。A・J・クィネルの八〇年代作品『スナップ・ショット』等からヒントを得たとの由だが、IS(イスラム国)を乱入させるなど、もう少し今風に出来なかったものか。志駕晃『パスワード』はサラリーマンが落としたスマホを熟練のハッカーでもあるサイコキラーが拾うところから始まる。彼はそれに電話をかけてきた落とし主の彼女を気に入り、我が物にしようと企む。それと並行してサイコキラーを追う警察捜査陣の姿も描かれるが、主要人物にしろストーリー展開にしろ、ありがちなものにとどまっており、これまた大賞には苦しいかと。しかしながら、通信機器やSNSを駆使した現代犯罪の細部はリアルにとらえられていて、隠し玉には打ってつけかと思われた。田内杏典『変死区域』は一九六二年のアメリカ・デトロイトを舞台にした犯罪捜査もの。警察は未成年者を狙った連続猟奇殺人の捜査に追われていたが、ついに犯人が出頭する。だがそれは主人公ベインズ警部補のかつての上司だった。その上司は何故凶悪な犯行に及んだのかという一点でぐいぐい引っ張っていくサスペンス演出は買いで、トンデモない真相を期待させられたが、結果は「マジメか!」。その線でいくなら、舞台設定や背景描写をもっと濃密にして説得力を持たせないと。
 前半戦を終えた時点では本命なし、黄色信号が点滅し始めたが、続く森岡伸介『クルス機関』でひと安心。こちらはひと言でいうなら、公安警察版の『新宿鮫』、それもシリーズの中でも傑作の呼び声高い『毒猿』を髣髴させる捜査活劇だ。神奈川県警外事課の来栖惟臣はロシア人の元スパイから北朝鮮がテロを画策しているという情報を得、捜査に乗り出す。だがその頃、日本に潜入した北の工作員がテロに関わった仲間を次々と口封じし始めていた。その工作員が『新宿鮫』でいうなら毒猿という次第。“歩く一人諜報組織”=クルス機関の異名を取る主人公だが、冷酷な反面女に甘いジャニーズ系の工作員・李宗秀の魅力はそれに優る。細かい注文はあろうが、クライマックスのテロ・シーンに向けてサスペンスを高めていく『ジャッカルの日』スタイルの演出もスリリングのひと言だ。 
 続く岩木一麻『救済のネオプラズム』は医学もの。日本がんセンターの医師・夏目は四人の患者に余命宣告をするが、その後四人が四人とも生き延び、ガンも消え去るという「活人事件」が起きる。彼は同僚や生命保険会社に勤める後輩を交えてその謎を追うが……。事件の黒幕は大よそ察しがつくものの、真相のほうは見当もつかない。その謎の設定がとにかく素晴らしい。ミステリー的にはスリリングな攻防戦が繰り広げられるわけではなく、中盤のサスペンスも乏しい。随所で専門的な説明に傾きがちなのも難か。
 最後の綾見洋介『小さいそれがたくさんいるところ』は大学生男子が亡母の遺言通り、かつて大切な石を譲ってくれたという幼馴染の男にそれを返しに北海道へと赴く。目的地の最寄駅は秘境駅として知られていたが、もはや人は住んでいないようだった。その集落の周辺には「狩勝の裏金」と呼ばれるお宝伝説があり、やがて秘境駅を訪ねてきた鉄道オタクを交えて宝探しが始まる。鉄道ネタを主にしたところは新鮮だが、冒険小説としてはスケール不足。北海道が舞台なんだから民俗学的な蘊蓄も盛り込んで、大風呂敷を広げてほしかった。ただNHKの懐かしの少年ドラマシリーズにも似たタッチが何とも好ましく、この作風を活かしつつ来年もぜひチャレンジしていただきたい。
 かくして今回は『クルス機関』と『救済のネオプラズム』の一騎打ちというのが筆者の見立て。個人的にはエンタメ演出に徹した前者が推しだったが、結果は謎解きに秀でた後者のほうを推す声のほうが強く、押し切られた。でも『このミス』大賞は大賞を逃しても優秀賞があるし出版もされるので、まだまだ挽回の余地はあるぞ、森岡さん。三好作品はぐりぐりの◎を付け孤軍奮闘したその情熱に免じて茶木則雄賞ということで。

茶木則雄

日本医学ミステリ史上、三指に入る傑作

 大賞受賞作『救済のネオプラズム』は、第十三回の本賞一次通過作『完全寛解』を大幅に改稿した作品である。二年前の二次選考で読んだものだが、ここまで凄い改稿は、はじめて見た。医学上あり得ない形で癌が完全に寛解する、という不可解な謎をリーダビリティの核に据え、最前線で癌治療に当たる医療現場の今日的問題をテーマに、圧倒的ディテールで描く医学ミステリ――という結構は同じだが、一度バラバラにして再構築されたプロットの練成度は、驚嘆すべきレベルに達している。
 なにしろ、前回応募作でメインとなった謎解きのアイディアを前菜で惜しげもなく披露しているのだ。ミスリードとエクスキューズの連打で読む者を迷宮に誘う構造美の素晴らしさは、特筆に価する。おまけに、デザートとして「ラスト一行の驚愕」――この衝撃は荻原浩『噂』にも比肩する――を添えるという、えも言われぬ贅沢さ。説明過多の文体は物語の性格上致し方ないとして、会話など小説的完成度に若干の不満が残るのは惜しまれるけれど、日本医学ミステリ史上、三指に入る傑作、と断言するに吝かではない。
 ミステリとしてのケレン味のなさを指摘された『縁見屋の娘』だが、小説的な完成度は今応募作中、随一であった。登場人物一人ひとりへの目配り、展開の説得力、伏線の見事な回収、活き活きとした会話――どれをとっても文句の、つけようがない。上方情緒と人情の機微を描いて、第一級の時代小説に仕上がっている。ファンタジー要素を取り入れた伝奇小説的結構に、天明の大火という歴史的事象を配し、時限サスペンスとして、実に読ませるのだ。大向こうを唸らせるケレンこそないが、地に足の着いた確かな筆運びは、いずれ世に出る才能、と高く評価した次第である。
 同じく優秀賞を受賞した『クルス機関』は、エルロイ風文体で、横山秀夫的組織対個の対立・葛藤を描いた公安サスペンス。骨太なプロットはヒネリも利いていて、ラストまでぐいぐい読ませる。公安関係の細部もほとんど遺漏なく(新人賞応募作では珍しいくらい警察関係のディテールがしっかりしている)、素材的には間違いなくプロで活躍できる器だ。主人公の年齢設定(三十代は若すぎる)とか陰影不足(敵役の北朝鮮工作員の方が濃い)とか、欠点はなきにしもあらず、だが、修正は充分に可能だろう。
 上記三作は、二次選考の段階で、賞を出すならこの三作から、と目星をつけていた作品である。原石の魅力を十二分に湛えた三人の受賞を、大いに寿ぎたい。
 最終選考委員の総意として隠し玉に推挙された『パスワード』は、ライトな語り口とは裏腹に、実に真っ当なサイバー・サイコ・サスペンスに仕上がっている。スマホを落とすという誰にでもありそうな日常の災難を、とんでもない災厄に結びつけていく過程が面白い。SNSを駆使して個人情報を次々と特定していく犯行の不気味さは、アクチュアリティとリーダビリティに満ちている。警察描写が稚拙でリアリティを削いでいる憾みは残るが、大化けすればスマッシュ・ヒットを望めそうな作品だ。
 個人的に惜しまれるのは『変死区域』である。大量の死傷者と逮捕者を出した一九六七年のデトロイト暴動をモチーフに、暴動のマグマが限界に達しつつある六二年、デトロイト市警の刑事を主人公にした警察小説。筆致といい、キャラクターといい、まんま一昔前の海外ミステリを翻訳したかのような(訳の上手い下手は別にして)作品だ。二十代半ばでこの書きっぷりは凄い、と素直に感心した。謎の提示も魅力的だ。が、肝心の動機が、いくらなんでもさすがに如何なものか、との失望を拭えない。ただ、精進していけばきっと、この作者はプロになれる、と思わせるだけの才能はある。
 北海道を舞台にした『小さいそれがたくさんいるところ』は、秘境駅旅情小説として、心地よく読めた。語り口も丁寧で好感を抱いたが、ミステリとしてはどうだろう。謎の背景も宝探し小説としての面白さも、いまひとつ、というのが率直な感想だ。
 世の中の流れと題材に、最も乖離を感じたのが、『沙漠の薔薇』である。一九八一年のイスラエルによるイラク核施設空爆(バビロン作戦)。二〇〇七年、シリア核関連施設空爆。一五年、イラン核合意。中東情勢のこうした歴史的推移を見ると、プロットに現実性を感じなかった。仮にあったとしても、バビロン作戦を描いたクィネルの秀作がすでに存在する以上、インパクトは激減する。
 さて、『このミス』大賞十五年の節目をもって、私は今回で選考の任を辞する(体調不良ではないので安心してください、大森さん――為念)。最後に、このような素晴らしい受賞作と出会えたことを、衷心より感謝する次第である。

吉野仁

巧妙なトリックが受賞の決め手

 それぞれ個性あふれる最終候補七作が並んだ中、個人的に「これが文句なしに大賞だ!」と強く推したいものは、残念ながら見当たらなかった。となると、欠点が少なく、読みどころの多い作品に対し、高評価をつけることになる。逆に、どれほど題材が優れていて、トリックや趣向が奇抜であろうと、あまりに娯楽小説としての完成度に欠けているものは低い点数をつけざるをえない。
 したがって、当初、岩木一麻『救済のネオプラズム』には厳しい判定だった。本格的な医学ミステリーとしての題材や描写は悪くないものの、主要人物が集まりだらだらと会話するシーンが続くなど、話に起伏がとぼしくムダが多い。冒頭から話の骨格が見えづらく、何にピントを合わせて読めばいいのかも判然としない。これで大賞受賞はないな、と思って選考会に臨んだ。だが、大森さんをはじめ他の選考委員は「がん消失」をめぐるトリックに関して高く評価していた。なるほど、それはたしかに大きな「売り」になるだろう。幸い本賞は、出版までに応募原稿を大幅に直すことが可能である。長所を生かすよう、いくつかの欠点を改稿すれば悪くない。そう思い直し、受賞に賛成した。デビュー後が大変だと思うものの、書き続けることで実力をつけてほしい。
 次に三好昌子『縁見屋の娘』は、「男児を産まず、みな二十六歳で早死にする」という取り憑かれた家の娘の物語。先祖のたたりが関係していたり、天狗が登場したりするなど、時代ファンタジーと呼べばいいのだろうか。しっかりと描かれているものの、あえて言えば冒頭からやや地味な印象だった。ヒロインの個性を際立たせ、怪しい人物をより怪しく描くなど、外連味が必要だろう。これからなにか恐ろしいことが起こるといった予感を匂わせ、起伏をつけるなど、サスペンスを高めてドラマチックに仕上げてほしいのだ。こちらも大賞と同じく、欠点を直すことでより読みごたえのある作品に生まれ変わるだろう。しっかり取り組んでいただきたい。
 同じく優秀賞の森岡伸介『クルス機関』は、スパイ警察小説。かなり無茶なところもあるのだが、個人的には北朝鮮の工作員に接触する女子高生の登場が気に入った。前半から、ジャンルのお約束をふまえた、きわめてオーソドックスな公安警察スパイ小説のシーンがちりばめられているな、と思っていたら、突然、大胆なフィクションが導入されているではないか。そこに物語を面白く読ませる力が発揮されている。ゆえに、リアリティを気にせず、物語にゆだねられたのだ。現在、警察小説の書き手は多いが、こうしたスパイものは少数派といえる。これからも、斬新な趣向を取り込んで書き続けてほしい。
 残念ながら賞には届かなかったが、候補作中もっとも楽しんで読んだ作品は、志駕晃『パスワード』だった。とくにドラマの描き方がうまく、語り口が抜群である。もちろん欠点もあり、とくに警察捜査や猟奇連続殺人に関する設定や描写が甘すぎる。大賞となるには、いまひとつ弱い。だが、そうした大味な部分をふくめ、勢いで読ませていく力を持っている書き手だ。その器用さが、つめの甘さに表れているのかもしれないが。ともあれ、選考会ではすでに「隠し球」候補として話題に出た。デビューすれば人気作家になる素質は充分にあると思う。
 もう一作、綾見洋介『小さいそれがたくさんいるところ』は、母親の遺言で北海道へ行くことになった大学生が主人公で、旅先でトラブルに巻き込まれていく。過去の事件と人物の関係性がわかりづらいなど問題は多く、ミステリーとして弱かったり、強引だったりするのが難。しかし、秘境駅めぐりをする鉄道オタクが登場することで、場面場面はとても面白く読んだ。いわゆる「鉄ちゃん」にまつわる描写が秀逸なのだ。この鉄道オタク向けの趣向を取り入れたシリーズなら、固定読者がつくのではないか。
 不満が多かったのは、イランの核をめぐる国際謀略小説、薗田幸朗『沙漠の薔薇』。この手の冒険小説ファンにしてみれば、過去の傑作の設定を借り、定石通りのプロットをなぞってみせたにすぎない。細部の粗も目立つ。こうしたタイプの作品は書きづらい時代かもしれないが、できれば最新の国際情勢を盛り込んだ上で、濃密なディテールと痛快なアクションを描いて欲しい。いままで読んだことのないものを求めているのだ。
 田内杏典『変死区域』は、アメリカを舞台にした警察小説なのだが、なぜ時代が一九六二年で場所がデトロイトなのか。完成度が高ければ挑戦的な異色作になるだろうが、どうにもリアリティが感じられず、高い評価はつけられなかった。この時代におけるアメリカの警官たちを描写するならば、ぜひ実際に警察官でもあった作家ジョゼフ・ウォンボーの作品などを参考にしてほしい。